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☞【建武政権⑥:1335年7月】『北条時行、鎌倉奪還!護良親王は落命。』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「建武政権⑥:1335年7月」です。

北条高時の遺児・北条時行(9)を大将とする、「中先代の乱」が勃発します。

これにより足利尊氏の建武政権離反が生じるなど、歴史が大きく動きます。

建武2年(1335年)7月年表

7/13少なくともこの日以前に北条時行、決起

※信濃守護・小笠原貞宗はこの日までに軍勢を集めていた。
7/14北条時行軍、小笠原貞宗軍と衝突(@信濃)

※保科弥三郎、四宮左衛門太郎が信濃守護所を攻めるが、前日に守護方に加勢していた市河助房らにより敗北。その後も合戦が続く。
7/15北条時行軍、小笠原貞宗軍となおも激戦(@信濃)

※22日まで続く。しかし、これは信濃守護軍をひきつけておくための作戦であり、北条時行本軍は鎌倉を目指した。
7/18諏訪頼重ら、上野群馬県に侵攻

※信濃国司を自害に追い込み、長野→群馬→埼玉→東京→神奈川(鎌倉)へ。
7/22渋川義季(22)、岩松経家ら女影原の戦い(埼玉県日高市)で時行軍に敗れて一族家人数百人とともに自殺

※渋川義季は足利尊氏の六波羅探題攻撃時に功のあった人物。関東廂番一番頭人。本間・渋谷が鎌倉に攻め込んだ際は大将として出陣。
※姉が直義の妻でもあることから、直義の義弟である。のちに娘が義詮に嫁ぐ。
※岩松経家はもともとは足利一族であったが、新田氏一族として育ち、新田義貞の鎌倉幕府攻撃時に功のあった人物。関東廂番二番頭人。
※足利直義は鎌倉を出て武蔵井出沢で時行軍と戦う。
7/-今川範満、時行方と戦い討死(@武蔵小手指原)

※今川了俊の伯父。重病を押して出陣するも太腿を切られ、最後は家臣の介錯を受ける。
7/-小山判官秀朝、時行軍に敗れて自害(@武蔵府中)

※足利直義の命で下野守護の小山氏が参戦するが、時行軍を止められず、討ち死に。
※小山氏は平将門を討伐した藤原秀郷の子孫という名門。
※時行軍の快進撃が続く。
7/23足利直義、鎌倉を捨てて西へ護良親王(28)が殺害される

※前日、井出沢(東京都町田市)の戦いでも大敗して、成良親王、義詮を奉じて西へ逃亡。
※伊豆・駿河の時行方と対戦し、ようやく勝利。足利の本拠地・三河へ到着する。
※三河で兄・尊氏の合流を待つ。
直義は幽閉されていた護良親王を殺害指示
7/24鶴見合戦(神奈川県横浜市)

※常陸守護の佐竹貞義が時行の進軍を止めようと駆け付けるが、佐竹氏は息子・義直を含めて多くの犠牲を払う。
7/24北条時行、鎌倉入り

※諏訪頼重らに擁されて鎌倉入り。
西園寺公宗
私は捕まってしまったが、時行どのは「逃げ上手」だから捕まらない!
北条泰家
全国の北条恩顧の武士たちが立ち上がる時が来たっ!
諏訪頼重
時行さま、今ですぞっ!
北条時行
よし、いざ出陣ですっ!
足利直義
な、なぜこんなに強い、、

義弟もやられたか、、

もう鎌倉を捨てるしかない、、

 
小笠原貞宗
信濃守護に任命された私、小笠原貞宗は当代きっての弓の名人。

私と直接対決せずに鎌倉へ向かうとはなかなか賢いのう。

しかし、このままじゃ終わらせんぞ。

足利尊氏
へー、時行くん、まだ生きてたんだっ。

ずいぶん大暴れしてくれたじゃないの。

こっちも容赦しないよ。

後醍醐天皇
どうなっているんだ、、
北条時行
ちなみに、北条氏を「先代」、足利尊氏を「当代」とすると、

僕はその中間にあたるから「中先代」って名前がついたんだ。

「中先代の乱」、まだまだこれは序章に過ぎないよー。

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感想(0件)
足利直義
あ、逃げる前に1つやらなければいけないことがあった、、、

護良親王、殺しとこ。

護良親王
無、無念、、、
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