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こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「建武政権⑦:1335年8月」です。

後醍醐天皇の制止を無視して足利尊氏は弟・直義の救出に向かいました。

激戦が続きましたが、道中で多くの軍勢を得たこともあり、鎌倉を奪還します。

建武2年(1335年)8月年表

8/1成良親王、征夷大将軍に任命される

※弟・直義の敗報を聞いた尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍と諸国の惣追捕使の地位を望む。しかし、どちらも許されず、征夷大将軍は成良親王(10歳)が任命された。
8/1信濃望月城で合戦、望月城落城

※時行方の武将、滋野氏の望月城が信濃守護・小笠原貞宗の攻撃を受けて落城。
8/2足利尊氏、京都を進発

※後醍醐天皇の許可が得られないまま出立。
※その日のうちに野路(滋賀県草津市)に到着。
8/2西園寺公宗、日野氏光が殺害される

※出雲へ護送するはずの名和長年は、中院定平から「早や」と言われたのを「殺し奉れ」と聞き違い、公宗を斬殺。これには単純に聞き間違えた説や、わざと聞き間違えた説など諸説残る。
※中先代の乱の混乱で新政権反対派が結集することを恐れて殺害された可能性も指摘される。
8/3足利尊氏、四十九院(滋賀県犬上郡豊郷町)到着
8/3鎌倉の大仏殿が大風で倒壊

※尊氏に対して出兵を控えていた名越式部太夫の軍500余騎が巻き込まれて事故死。
8/4足利尊氏、垂井(岐阜県不破郡垂井町)到着
8/6足利尊氏、下津(愛知県稲沢市)到着
8/7足利尊氏、八橋(愛知県知立市)到着
8/8足利尊氏、渡津(愛知県豊橋市)到着
8/9足利尊氏、橋本(静岡県湖西市)到着、合戦に勝利

※尊氏の軍勢は京都を出たときは500騎だったが、近江、美濃、尾張、三河、遠江の軍勢を集めて3万騎ほどになっており、三河矢作宿(愛知県岡崎市)で合流した直義の兵を合わせて5万騎になっていた。
8/9後醍醐天皇、足利尊氏を征東将軍に補任

※尊氏の東征を追認した。
※「征東将軍」は1184年、木曽義仲が就任して以来だった。
8/10足利尊氏、池田(静岡県磐田市)到着
8/11足利尊氏、懸河(静岡県掛川市)到着
8/12足利尊氏、小夜中山(静岡県掛川市)で合戦、勝利
8/13足利尊氏、藤枝(静岡県藤枝市)到着
8/13陸奥長倉城(福島県石川郡平田村)で合戦

※鎌倉時代の陸奥は得宗家の所領が多かった。
8/14足利尊氏、駿河国府(静岡県静岡市)で合戦、勝利
8/15足利尊氏、蒲原(静岡県静岡市)到着
8/15奥州合戦
8/16足利尊氏、伊豆国府(静岡県伊豆の国市)到着
8/17足利尊氏、箱根(神奈川県足柄下郡箱根町)で合戦、勝利

※合戦は水飲(静岡県三島市)、相模葦河上(神奈川県足柄下郡箱根町)、大平下(同)、湯本地蔵(同)の諸所で行われた。
※時行方の大将、三浦時明は相模懐嶋(神奈川県茅ヶ崎市)へ落ち延びる。地元の漁師たちが哀れんで砂浜に壺を埋めて、その中に匿っていたところ、その上に網を何重にも巻いていたところ、低酸素あるいは自分で首を絞めたかで壺の中で死亡。
8/18足利尊氏、相模川(神奈川県相模原市)で合戦、勝利

※いずれの戦いも尊氏方が勝利しているが、尊氏方も多くの武将が落命しており、激戦であった。
8/19足利尊氏、鎌倉到着辻堂・片瀬原(神奈川県藤沢市)で合戦、勝利

※北条時行はひそかに鎌倉を脱出し、諏訪頼重らが足利尊氏の軍勢と戦う。破れた諏訪頼重ら主だった大名43名は、誰が誰かわからないように顔の皮を剥いで自害。
※足利尊氏は自ら「征夷将軍」を称した。
※東国武士にとっては足利か北条か、どちらにつくかを示す必要があった。中には兄弟で袂を分かった家もある。足利方についた三浦一族の蘆名盛員はこの合戦で討死したが、子孫はその後、会津で戦国大名となる。
8/?名越時兼、北陸で挙兵するが、加賀大聖寺城で敗死。

※加賀・越中・能登の軍勢を率いて京を目指していた。
?/?河野通任、中先代の乱の伊予の大将として浮穴郡白瀧城に籠城
8/-二条河原の落書き

※建武政権の役所の裏の河原に書かれた。
※建武政権を批判。

※「この頃都にはやるもの、夜討ち・強盗・にせ綸旨、召人(めしうど=囚人)、早馬、から騒動。生首、還俗、自由出家。にわか大名、迷いもの、安堵、恩賞、そらいくさ。本領はなるる訴訟人。文書入りたる細葛(ほそつづら)。追従(ついしょう:おべっか使い)、讒人(ざんに:悪口をいう人)、禅律僧(政治に口を出す僧侶)。下剋上する成出物。」


※「器用堪否(きようかんぷ)の沙汰もなく もるる人なき決断所、させる忠功なけれども 過分の昇進するもあり」
(有用な人材か物事を処理する才能があるかも問われず誰でも加わっている雑訴決断所、たいした功績もないのに不相応な昇進をする者もいる)
足利尊氏

ちょっと直義を助けてくるから、天皇、征夷大将軍に任命して下さい。

後醍醐天皇
そ、それではまた武家の時代に逆戻りではないか、、

征夷大将軍は息子の成良に、、

足利尊氏
へー、そんな当てつけみたいなことしちゃうんですねー。

足利家のいち大事ですので、私は私で行動させて頂きます。
新田義貞
尊氏様が勝手に鎌倉へ向かってしまった、、

そして多くの武士たちもそれに従っている。。。

足利尊氏
鎌倉は武士の聖地だもんね。

それと時行くんが生き延びていると何かと目障りなんだよ。

足利直義
兄さんー、やられちゃったよー。
足利尊氏
ハハハ、心配ないよ。

すぐ取り返すから。

諏訪頼重
足利尊氏、強すぎる、、

若、ここは逃げてください!

北条時行
わかった、、(涙)
西園寺公宗

名越時兼どのも戦死してしまった、、

私も名和長年って輩が聞き間違えて殺された、、

名和長年
え?俺が聞き間違えて殺害したことになってんの?

ま、そういうことにしとこうやっ!

 
この頃、都に流行るもの、夜討・強盗・にせ綸旨!

建武政権って、イマイチじゃない?

後醍醐天皇
ううう、
私の制止を無視した尊氏めが活躍しおって、、

私の人望の無さが露呈してしまっているではないか。。

こうなったら「恩賞は京都で与えるから」と言って尊氏を京都に呼び戻して殺してしまおうか。。。

こんなことになるなら護良親王を手元に置いておけば良かった。。。