~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「建武政権⑮:1336年6月」です。

湊川で楠木正成を討ち取った尊氏軍は、京都に進入し、

後醍醐天皇の忠臣と呼ばれる千種忠顕、名和長年らを討ち破ります。

建武3年(1336年)6月年表

6/3足利尊氏、光厳上皇とその弟の豊仁親王を八幡(京都府八幡市)に迎え入れる

※尊氏は九州に行く前に光厳上皇から院宣をもらい、朝敵とならないようにしてもらっていた。
6/5足利直義による比叡山攻撃開始
6/7千種忠顕、戦死

※雲母坂(京都市左京区修学院音羽谷)で足利直義に敗れる。
6/14足利尊氏、入京
6/15光厳上皇、元号を「建武」に戻す

※後醍醐天皇が「延元」に改元していた。
6/30名和長年、討死

※第2次京都争奪戦にて足利尊氏が勝利。
※後醍醐天皇は「三木一草」(さんぼくいっそう)と呼ばれる忠臣:結城(ゆう)親光、楠木(くすの)正成、千種(ちぐさ)忠顕、名和長年(=伯耆守:ほうのかみ)すべてを失った。
※ただ、坂本(滋賀県大津市)に押し寄せた足利軍は後醍醐天皇方になった宇都宮公綱により撃退されて一時撤退。
名和長年
無念。でも後醍醐天皇に取り立てていただいた御恩は決して忘れません。
後醍醐天皇
おのれ尊氏め、、

でも護良親王や楠木正成の言うことを聞いていれば良かったのかな、、

足利尊氏
はははー。

でも結局一緒だったと思うよ。

僕に戦では勝てないもん。

ただ、厄介なのは顕家くんと、時行くんかなー。

足利直義
あ、みんな、僕のこと戦下手と思ってるかも知れないけど、今回は頑張ったでしょー
宇都宮公綱
直義だけなら何とかなるんだが。。。

やっぱり尊氏さんにが強い、、