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☞【建武政権⑤:1335年1-6月】『激震!側近による後醍醐天皇暗殺計画発覚!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「建武政権⑤:1335年1-6月」です。

代々、「関東申次」を務めてきた西園寺公宗による「建武政権転覆計画」が発覚します。

建武2年(1335年)1-6月年表

-/-なおも各地で反乱続く

※紀伊では飯盛城が一時、攻め落とされていた。(1/29奪還)
3/16信濃守護・小笠原貞宗、府中(長野県松本市)の騒動鎮圧に向かう

※信濃はもともと北条氏の勢力が強いところであった。
※鎌倉時代に信濃守護だった北条氏が国衙を利用して信濃を支配しており、この国衙の役人の反乱ではないかと考えられている。
※市川助房らが小笠原貞宗の軍に参戦。(5/16)
4/4北条高安の足利尊氏・新田義貞襲撃計画が発覚

※楠木正成が鎮圧、北条高安は自害
6/22謀反の罪で西園寺公宗(25)を捕縛

※関東申次を務めた西園寺公宗の建武政権転覆計画が発覚する。
※自宅の北山殿(現:金閣寺)に呼び寄せて後醍醐天皇を殺害する計画だった。
※西園寺公宗の異母弟・西園寺公重が後醍醐天皇に密告した。
※武者所職員の楠木正成、高師直が西園寺公宗らを捕縛。
※西園寺公宗は持明院統の光厳上皇(20)を擁立しようと考えていた。(黒幕は光厳上皇?)
※北条時行、名越時兼らとの連携も示唆される。
6/23北条時行、挙兵?@信濃

※「7月挙兵説」が多いが、7月にはすでに建武政権側の兵力が集結していることから6月には決起していると考える。
※西園寺公宗謀反事件とも連動。
6/27西園寺公宗謀反事件の罪人の流罪決定

※西園寺公宗のほか、藤原俊季、日野氏光、三善文衡、中原清景ら。
※出雲国への流罪が決まった西園寺公宗は8/2に、護送役の名和長年により殺害される。
※名和長年が「聞き間違えて」という説もあるが、反乱分子を抑えるために「わざと」斬ったのではないか、という見方もされている。
西園寺家は祖・公経氏が源頼朝と姻戚関係にあり、承久の乱において朝廷側の動きを幕府に伝えておりました。

その後、西園寺公経の息子、実氏が「関東申次」に指名され、朝廷と幕府の連絡役を担っておりました。

そればかりではなく、西園寺家は娘を天皇(伏見、後宇多、花園)に嫁がせることで、天皇の外戚としても権力をもっておりました。

 
西園寺公宗
私、幕府と朝廷の調整役を担っておりました。

ただ、幕府が滅んだからといって、後醍醐天皇に冷遇されたわけでは決してないんですよ。

それよりも、光厳上皇様の今の状況を私は見ていられませんでした、、

北条泰家どのを匿っていたのも私です。

光厳上皇
もう1度、持明院統の復活を!
北条泰家
鎌倉は北条時行、北陸道は名越時兼、そして京都は私が制す計画じゃ!

鎌倉幕府がこうなってしまったのは、ひとえに兄・高時の責任もあるじゃろうが、

まだまだ全国には北条に恩を受けたものたちがおるだろう!

そのものたちの思いを成就させるまでワシはまだ死ねんのじゃ!!

後醍醐天皇
持明院統は姻戚関係を結んだり、懐柔できたかと思っていたけど、駄目だったか、、

私の反対派勢力が持明院統に集結してしまうと、それは厄介なことになりそうだが、、

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