長くなったので後編に。【前編はコチラ】。
【3】高度経済成長と荒れ狂う学生運動(1961-72)
[key words:所得倍増計画/岩戸景気/いざなぎ景気/沖縄返還/公害対策/全共闘運動]【年表】
【1960年】
- 岸信介 →池田勇人(1964年)
- 池田内閣による「国民所得倍増計画」
- ベトナム戦争(~75)
【1961年】
- ベルリンの壁構築
- 東洋の魔女凱旋帰国
【1962年】
- 東京都、世界初の1000万人都市に
- キューバ危機
【1963年】
- ライシャワー駐日米大使、原子力潜水艦寄港申し入れ騒動
- JFK暗殺
【1964年】
- 池田勇人 →佐藤栄作
- 海外旅行自由化
- 東海道新幹線開通
- 東京オリンピック開幕
【1965年】
- 北爆開始。
- 日韓基本条約調印。
- 戦後初の赤字国債発行
【1966年】
- 人口1億人突破。
- 早大闘争。
- 中国で文化大革命開始。
- 衆議院、「黒い霧」解散(自民党の一連の不祥事)
【1967年】
- 公害が社会問題に。
- 美濃部亮吉が都知事に。
- 日米首脳会談、小笠原諸島返還協定
【1968年】
- 厚生省、水俣病、イタイイタイ病を公害認定
- 学生運動激化(東大、日大)
- 3億円事件
【1969年】
- 東名高速開通
- 国民総生産(GNP)、世界第2位に。
- 佐藤・ニクソンによる沖縄返還表明
【1970年】
- 万博。
- よど号ハイジャック事件(赤軍派)。
- 自衛隊市ヶ谷駐屯地で三島事件。
【1971年】
- 成田空港で三里塚闘争激化。
- NHKカラー放送開始。
- 住専設立。
- ニクソン・ショックで1ドル308円に。
【1972年】
- 佐藤栄作 →田中角栄
- 横井庄一さん、グアムで発見。
- 連合赤軍によるあさま山荘事件。
- 沖縄返還。屋良朝苗知事誕生。
【所得倍増計画】
10年でGNPを2倍にすると宣言し、軍事コストのかからない利点を生かし、その分を重化学工業の後押し、社会資本の整理、低金利での企業融資などに回して、わずか4年でGNP2倍を達成。10年で4倍増を達成した。一流国に必要なGATT、IMF、OECDにも仲間入り。
【岩戸景気】
所得倍増計画とともに、「消費は美徳」と言われ、1958年~好景気に。どうせまたなべ底不況のようになるかと思いきや、オリンピック景気により図らずとも「一兆円規模の公共事業」が行われ、景気浮揚。
【いざなぎ景気】
オリンピック後、少し不況があり、山一證券の取り付け騒ぎなどがあるも、「日銀特融」で田中角栄蔵相が乗り切ると、日本経済は安心を取戻し、絶頂である「いざなぎ景気」を迎える。これは1965年~1970年、名目経済成長率が10%以上の驚異的な右肩上がりを続ける。
【沖縄返還】
佐藤栄作首相時。
1951年のサンフランシスコ講和条約という記念すべき日に小笠原と沖縄はアメリカのものになった。ベトナム戦争時(1960-75)、沖縄は爆撃の拠点であり、JFKやジョンソン大統領時に返還交渉には一切応じられなかったが、国内の市民運動の盛り上がり、沖縄内でのコザ暴動などもあり、1969年、佐藤栄作とニクソン大統領の間で安保条約の更新(「70年安保」)と引き換えに沖縄返還が約束された。1968年にまず小笠原、1971年に沖縄返還協定、1972年に「核抜き・本土並み」の条件で沖縄返還。
ただ、「有事の際の核の持ち込み」、「軍用地の原状回復費用の肩代わり」の密約もあった。
【日韓国交正常化】
韓国は独裁者であった李承晩から朴チョンヒに。戦後賠償を放棄する代わりに経済協力の約束を取り付ける。1965年、日韓基本条約が成立し、李承晩ラインは廃止。なお竹島は「紛争処理事項」として棚上げ。
【公害対策】
今の中国は50年前の日本。四日市喘息、イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病などが深刻化。1967年に公害対策基本法制定、1971年には環境庁も作り、公害対策を行う。 【革新系首長たちの地方自治改革】 独自で公害対策条例を出し、頑張る。
【全共闘運動】
学生運動が大いに盛り上がった時代でもあった。同時期の海外ではヒッピー、ベトナム反戦運動、文化大革命、いちご白書など。団塊の世代が大学生になっていて盛り上がった。日大、東大の事件の収束とともに下火となるが、「新左翼」と呼ばれる過激派を産み落とす。
【赤軍派】
新左翼の中でも特に世間を騒がしたのが「赤軍派」。「よど号ハイジャック事件」、「あさま山荘事件」、「テルアビブ空港乱射事件」などを起こした。現在も国際手配中の人物がいる。
「連合赤軍」とは金はあったが「大菩薩峠事件」などで武器がない「赤軍派」と猟銃店強盗で武器はあったが金はない永田洋子率いる「京浜安保共闘」が合体したものであり、あさま山荘事件を起こした。
【4】経済大国を裏で操るカネと権力の政争ドラマ(1973-79)
[key words: ニクソンショック/石油危機/三角大福政争/日本列島改造論/日中国交正常化]【年表】
【1972年】
- 佐藤栄作 →田中角栄
- 田中角栄「日本列島改造論」
- 日中国交正常化
【1973年】
- ベトナム和平協定調印
- 円の変動相場制移行
- 魚介類水銀汚染問題
- 第1次石油危機(→総需要抑制政策)
- 買い占め騒動
【1974年】
- 田中角栄 →三木武夫
- 小野田寛郎さん、フィリピン・ルパング島で見つかる
- 春闘最大のゼネスト
- 佐藤栄作ノーベル平和賞
- 立花隆「田中角栄研究」
【1975年】
- ベトナム戦争終結
- エリザベス女王来日
- ストライキ盛んに
- 第1回先進国首脳会議(サミット)開催
【1976年】
- 三木武夫 →福田赳夫
- ヤマト運輸による宅急便開始
- ロッキード事件発覚田中角栄逮捕
- 公共料金大幅値上げ
- 景気中だるみで企業倒産史上最大に
【1977年】
- 青酸入りコーラ無差別殺人事件
- 大学入試センター試験発足
- 王選手が国民栄誉賞第1号に
- 日本赤軍による日航機ハイジャック
【1978年】
- 福田赳夫 →大平正芳
- 過激派学生、成田空港管制塔に乱入。
- 暴力団が社会問題化。
- 成田空港開港。
- 日中平和友好条約調印。 (福田)
【1979年】
- 第2次石油危機。
- スリーマイル島での原発事故。
- イラン革命。
- 東京サミット開催。
- ソニー「ウォークマン」発売
- インベーダーゲーム流行
【ニクソン・ショック】
1971年8月、ニクソン大統領が突然テレビで一方的に「ドルと金の交換停止」を発表。冷戦のせいで無駄な出費を出し過ぎた。実質、「固定相場のギブアップ宣言」である。
通貨価値の不安定は戦争につながる恐れがあるので、各国は早急に固定相場を組み直す。それにより12月、「スミソニアン協定」が生まれる。日本は1ドル308円へ。この円高で日本のモノが高くなり、輸出競争力をもがれる。
【石油危機】
第4次中東戦争をきっかけに産油国は石油減産と禁輸措置。これによりアメリカは窮地に。同盟国の日本も打撃を受けた。鉄鋼、造船、石油化学は大打撃となり不況+インフレというスタグフレーションをおこす。ついに戦後初のマイナス成長。これを「総需要抑制政策」でインフレを退治してその後、不況対策をして4年で経済を立て直す。
【産業構造の転換と衰退する街】
石油のダメージを受けにくいハイテク製品、自動車、家電が輸出の中心に。高度成長期を支えた海辺の造船所、製鉄所、石油化学コンビナートのある町などは次第にさびれていく。
【三角大福政争】
佐藤栄作の次の総裁選では本命・福田に対して、角栄が勝利。その後に遺恨を残し、「角福戦争」と呼ばれる。
「三木おろし」で不仲な福田、大平は合体し、「福田→大平」という順番で行うという「大福密約」をするも、「民の声は天の声」と福田は総裁選出馬。(ただし大平に敗れる。)
しかし、その後、社会党からの大平内閣不信任決議案に福田派は全員欠席、「ハプニング解散」となる。大平は選挙中、死亡。
【日本列島改造論】
田中角栄。地方を工業化することで流出した人口を呼び戻し、そこと東京を高速交通網でつなぐことで過疎と過密を解消。即座に国土庁を新設。しかし、土地投機ブームで地価が高騰し、そこにインフレが加わり、狂乱物価となる。
【日中国交正常化】
中ソ対立により米中が接近。中国は国連加盟し、台湾は追放。田中角栄もこの流れで日中共同声明。福田の時代に「日中平和友好条約」。
【5】カネで世界を買い占める昭和バブル狂騒(1980-89)
[key words: 日米貿易摩擦/プラザ合意/バブル経済/ノンバンクと住専/靖国参拝/昭和の終焉]【年表】
【1980年】
- 大平正芳→伊東正義(代理)→鈴木善幸
- イエスの方舟事件
- 第2次石油危機(~83)
- 金属バット両親撲殺事件
- 校内暴力、家庭内暴力激化
【1981年】
- 鈴木善幸ー米:レーガン
- 五六豪雪
- ライシャワー発言から非核三原則議論活発に
- 佐川一政・パリ人肉事件
- 輸出自主規制(~94)
【1982年】
- →中曽根康弘
- 赤坂・ホテルニュージャパン火災
- 教科書検定問題
- 川崎病流行
【1983年】
- 東京ディズニーランド開園
- 戸塚ヨットスクール事件
- ロッキード事件で田中角栄実刑判決
【1984年】
- 中曽根首相、現職首相として戦後初の靖国参拝
- ロス疑惑
- グリコ森永事件
【1985年】
- NTT、日本たばこ株式会社発足
- 豊田商事会長刺殺事件
- 日航ジャンボ墜落
- プラザ合意
【1986年】
- 男女雇用機会均等法施行
- 社会党委員長に土井たか子。女性初。
- 三井物産マニラ支店長誘拐事件
【1987年】
- →竹下登
- NTT株上場、マネーブーム。
- 安田火災「ひまわり」58億で落札
- 国鉄分割民営化
【1988年】
- リクルート事件
- 青函トンネル
- 東京ドーム
- 瀬戸大橋
- 牛肉オレンジ自由化交渉、日米合意
【1989年】
- 竹下登(リ事件で総辞職) →宇野宗佑(参院選敗退) →海部俊樹
- 昭和天皇崩御。
- 消費税3%開始。
- ベルリンの壁崩壊。
- マルタ会談(ブッシュ、ゴルバチョフ)で冷戦終結。
- 天安門事件。
- 株価のピーク。
【第2次石油危機】
第1次石油危機で絶頂期にあった重工業が破滅。しかし、ここから総需要抑制政策、軽薄短小型へのシフトで乗り切り、わずか5,6年の間に奇跡の回復をとげた。1974年で-1.2%だった実質経済成長率は1976年で+4.0%、1981年には+4.2%、貿易黒字4.5兆円を叩き出す。
1980年の第2次石油危機で重工業は完全に崩れたが、この軽薄短小型シフトで世界的大不況を1人だけ涼しい顔で乗り切る。
【日米貿易摩擦】
要は日本の製品が良く、円安の影響で安いのが原因なのであるのだが、軽薄短小型の集中豪雨型輸出で日本だけ調子がよいことは国際社会からは嫌われた。レーガン大統領は双子の赤字(財政と貿易)に悩まされており、日本に自動車の3年間の「輸出自主規制」を求めた。輸出枠は変動がありながらも結果的に1994年まで続いた。
【プラザ合意】
1985年。先進5か国蔵相と中央銀行総裁会議で円高誘導が決定。当時、1ドル230円くらいが1年で150円くらいに。日銀は公定歩合を引き下げ、最終的に2.5%に。
しかし、円高はさほど大事に至らなかった。なぜなら、原材料のほとんどを輸入に頼る日本にとって、原材料コストは安くなり、なお生産拠点を外国に移すことで安い人件費も得られたので、これを行った企業は成功した。
公定歩合2.5%は不要であったが、巨額の資金が市場に流れ、これらが投機に流れ、バブルが幕開ける。
【バブル経済】
いわゆる「過剰融資」により生じた。インフレが心配となるので、徐々に公定歩合を引き上げるべきであったが竹下登はそれをしなかった。円高のため国内物価はデフレに向かったため、高度成長期と異なり、「好況なのにインフレが起きない」という夢のような状態であった。地価・株が実体経済の価値以上に膨らみ、期待感が消滅した瞬間にバブルがはじけた。
【ノンバンクと住専】
地価は異様に高騰し、とても買える値段ではない。そこで政府は規制に乗り出し、銀行に対して土地取引への貸し出しを規制する旨を発表(不動産融資総量規制)。これにより貸出額上限が設定され、不動産取引そのものが減り、地価の高騰を抑制できるはずであったがそうはならなかった。
銀行外の金融会社として各銀行の出資で「住宅金融専門会社」が作られていたが(1971年~)、高度成長期が終わり、企業融資が減少した銀行が住宅ローン事業に参入したことで、金利の高い住専は苦し紛れに地上げや不動産などバブル業種に融資し始めたのだ。
銀行は手を引いたが、今度は農協マネーが入り、手を引くに引けなくなり、傷口を大きく広げて1995年、破綻。
【昭和の終焉】
バブルはまるで昭和の残り火のようにパッと輝いて、スッと消えた。世界的にもベルリンの壁崩壊、東西冷戦終結と大きな出来事が続き、アメリカの外交政策にも大きな転換が求められた。
【6】崩れ落ちるバブル経済と新時代への政界大再編(1990-2000)
[key words: バブル崩壊/金融機関の破綻/整理回収機構/政界再編と政党ブーム/村山談話]【年表】(簡略)
- 1990 海部俊樹 東西ドイツ統一 日銀公定歩合6%に引き上げ。不動産総量規制
- 1991 海部俊樹 →宮沢喜一 湾岸戦争。バブル崩壊(実感としては1993年くらい)。ソ連崩壊。
- 1992 宮沢喜一 PKO法案制定。自衛隊カンボジア派遣。新党ブーム。 東京佐川急便事件(→金丸信逮捕)。
- 1993 宮沢喜一 →細川護煕 異常気象で平成コメ騒動。河野談話(従軍慰安婦強制を認める)。 ウソつき解散(小沢一郎クーデター)。細川連立政権発足、55年体制崩壊。
- 1994 →羽田孜 →村山富市 皇太子様ご成婚。自社さ連立政権。松本サリン事件。
- 1995 村山富市 阪神淡路大震災。地下鉄サリン事件。住専破綻。 村山談話(日本の植民地支配を公式謝罪)。
- 1996 →橋本龍太郎 住専に公的資金注入。→住管機構設立。社長に中坊公平。 民主党結成。金融ビッグバン。
- 1997 橋本龍太郎 消費税5%。山一證券、拓銀経営破綻。神戸連続児童殺傷事件。
- 1998 橋本龍太郎 →小渕恵三 長野五輪。金融庁設置。金融再生法成立。和歌山毒物カレー事件。 長銀二行破綻→新生銀行、あおぞら銀行に
- 1999 小渕恵三 日銀、ゼロ金利政策実施。東海村JCO臨界事故。 整理回収機構(住管機構+整理回収銀行→国家権力を持ったヤクザ) 周辺事態法、防衛指針法(日米新ガイドライン)成立。
- 2000 小渕恵三 →森喜朗 西鉄バスジャック事件。ストーカー規制法施行。 世田谷一家殺害事件発生。
【村山時代の社会党】
自衛隊は合憲、安保条約は容認と歴史的な方針転換を発表。首相になるために社会党のアイデンティティを次々変更することで支持者離れ。大震災での自衛隊派遣、オウム真理教に対する破防法など、重要な法案が必要に。最後っ屁のような形で村山談話を残してしまった。
【失われた10年】
1990年代の日本はバブル後の処理に追われ、新しいものを何ら生み出せず、景気も回復しなかった。この10年の責任をだれか特定の首相に求めるのは難しい。強いて言うなら「誰も何もしなかった(ねじれ国会などでできなかった)」ことが原因と思われる。今や瀕死の病人を国が借金で看病しているようなものだ。肉体が死なない限り新たな再生はあり得ない。
【7】塗り替わる世界勢力図と揺れ動く日本(2001-現在)
[小泉劇場/北朝鮮拉致問題/消えた年金/領土問題/原子力ムラ/集団的自衛権]【年表】(簡略)
- 2001 森喜朗 →小泉純一郎 中央省庁再編。 アメリカ同時多発テロ→アフガニスタン紛争、ビンラディン殺害 テロ対策特別措置法成立
- 2002 小泉純一郎 FIFA日韓開催W杯、牛肉偽装事件など食品不正表示 住民基本台帳ネットワーク開始
- 2003 イラク戦争、「イラク措置法」成立、自衛隊イラク派遣
- 2004 北朝鮮日本人拉致被害者帰国
- 2005 郵政解散
- 2006 小泉純一郎 →安倍晋三 ほりえもん逮捕 日銀ゼロ金利解除、いざなぎ超え
- 2007 安倍晋三 →福田康夫 消えた年金問題 リーマンショック→世界同時不況、景気後退
- 2008 福田康夫 →麻生太郎 蟹工船ブーム
- 2009 麻生太郎 →鳩山由紀夫 裁判員制度開始 事業仕分け
- 2010 鳩山由紀夫 →菅直人 普天間移設で日米合意、鳩山内閣辞職、参院選大敗でねじれ国会 尖閣諸島で中国船衝突事件
- 2011 菅直人 →野田佳彦 東日本大震災、福島第一原発事故 円相場1ドル75円(戦後最高値)、TPP参加表明、金正日死去
- 2012 野田佳彦 →安倍晋三 李明博、竹島不法上陸。尖閣諸島国有化→反日暴動 アベノミクス開始
- 2013 安倍晋三 嫌中、嫌韓 特定秘密保護法
- 2014 消費税8% 朝日新聞、「従軍慰安婦強制連行」「原発吉田調書」記事取り消し問題
- 2015 イスラム国日本人人質事件、日経株価平均2万円超え、大阪都構想住民投票
【なぜ民主党はうまくいかなかったか】
「政治主導・脱官僚」を掲げたものの、官僚以上に有能な政策立案などをできるものがおらず、党内調整もできておらずで結局無駄が多かった。マニフェストはほとんど守れなかった。そして何より東日本大震災。さらに領土問題でも不手際。
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