- 2022/08/08
- 2022/08/10
☞【鎌倉後期㉔:1309ー11年】『執権・師時、得宗・貞時、死去!】
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉔:1309-11年」です。 1311年、第10代執権・北条師時が死去します。 満36歳の若さでした。 そして、第9代執権・北条貞時も死去します。 こちらも満39歳という若さでした。 第11代執権には、「嘉元の乱」 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉔:1309-11年」です。 1311年、第10代執権・北条師時が死去します。 満36歳の若さでした。 そして、第9代執権・北条貞時も死去します。 こちらも満39歳という若さでした。 第11代執権には、「嘉元の乱」 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉓:1306-8年」です。 1308年、後二条天皇が23歳(数え年24)の若さで亡くなります。 持明院統と大覚寺統、それぞれ10年ずつ天皇になろう、という約束もあったようですが、 在位7年という短さでの逝去でした。 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉒:1303-5年」です。 1305年、北条一門の内紛が再び生じ、 連署・北条時村が誅殺されます。 問題はこれが北条宗方の単独犯なのか、北条貞時の命を受けてのものなのかなのですが、 いずれにしても実行犯の北条宗方は […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉑:1300-02年」です。 「永仁の徳政令」は二転三転し、結局、越訴(再審請求)は復活します。 北条貞時は自身の政治力に限界を感じたのか、はたまた過労による疲れか、たまたま見かけたハレー彗星を凶兆と考え出家してし […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑳:1298-9年」です。 「永仁の徳政令」は一部撤回されるなど混乱を生じ、 「持明院統」と「大覚寺統」の争いは激化。 良かったことは、テムルと北条貞時政権下で日元の戦争リスクが下がったことくらい。 それでも幕府は […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑲:1297年」です。 この年に発令された「永仁の徳政令」は日本史の教科書に必ず出るのですが、 その多くの条文が「1年で撤回された」ことはあまり知られていないでしょうか。 永仁5年(1297年)年表 3/6 「永仁 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑱:1294-1296年」です。 2度にわたり日本を襲ったフビライもついに死去。 孫のテムルが即位します。 その後、テムルはカイドゥの乱も治め、 束の間の平和が生まれます。 永仁2年(1294年)年表 1/22 フ […]