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こんにちは。

ところで、「満州アヘンスクワッド」というマンガをご存知でしょうか。

第2次世界大戦前の満州を舞台としたマンガなのですが、なかなか面白いんですよね・・・。

満州で関東軍が「アヘン」を売っていた、という逸話はどこかで読んだことがありましたが、地元の匪賊も、ロシア人もアヘンにからんできて、実にスリリングな展開で描いているのです。

満州に興味のある方は是非ご一読を。

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それはそうと、今回ご紹介しますのは「日露戦争後の満州」についてです。

以下、『満州建国の真実』(鈴木荘一、2018年、勉誠出版)の第1章:『日本陸軍の軍事的生命線としての満州』を参考に、いくつかのtopicsをピックアップしたいと思います。

①満州の人口増加(1900年~1938年)

満州の人口は、

1900年500万人
1915年2000万人
1938年3700万人

だそうです。

1900年の人口密度は4.5人/km2、国土面積が日本の2倍なのに、人口は日本の1割ちょっと。

(1900年時点で日本の人口は約4400万人でした。)

つまり、ものすごーく過疎地域でした

それが1915年の時点で4倍になった理由は、日露戦争における日本の勝利で、日本人が増えたせいもありますが、

(官吏、南満鉄の関係者、軍人、その家族らが流入)

山東省から大量の漢民族が流入したから、だそうです。

(当時、彼らは外国製品の流入で失業問題が著しかった)

以前から満州に住んでいた満州人、蒙古人は相対的に少数民族になりまして、漢民族との衝突も生じるのです。(詳しくは次章)

(ちなみに、1938年における日本人は42万人で約1.1%で、日本人の進出はそれほどではありませんでした。)

②満州問題の本質

満州問題の本質は

中世社会に鉄道という近代が入ってきたことによる軋轢

と定義されております。

つまり、遊牧民族の満州人たちのコミュニティに、ロシアが「東清鉄道」「南満州鉄道」を敷いて、近世をすっとばしての「近代」を持ち込んだことが問題というのです。

ちなみに帝政ロシアが鉄道を敷いて南下を企図したことは(旅順、大連を目指す)日本にとって軍事的脅威であり、それがもとで日露戦争となりました。

一方、現地では「鉄道」が原因で、「満州馬賊」の生活が圧迫されます。(詳しくは次章で。)

③伊藤博文vs児玉源太郎。撤兵か否か。

日露戦争は日本の辛勝に終わり、ポーツマス条約が結ばれます。

【ポーツマス条約】(要点)

1)日本の朝鮮における権利を承認
2)日露両軍とも18ヶ月以内に満州から撤兵
3)南満州鉄道を日本に譲渡、関東州租借
南満州鉄道(長春~大連700キロ)の保護のため、鉄道1kmごとに15名の鉄道守備兵を置く権利を有す

4)南樺太を日本に割譲
5)日本海、オホーツク海、ベーリング海の漁業権を日本が得る

6)賠償金はナシ

満州に関しての重要事項は、

2)日露両軍とも18ヶ月以内に満州から撤兵

3)関東州と南満州鉄道を日本に割譲

の2点。

しかし、いつロシアが復讐戦を仕掛けてくるのか疑心暗鬼でした。

そのため満州各地に「軍政所」を設置して襲撃に備えます。

ここで、「撤兵派」である伊藤博文(元老)、加藤高明(外相)らと「居座る派」の山県有朋(元老)、児玉源太郎(陸軍参謀総長)が対立します。

(児玉)「満州国における清国人の感情は悪しき状態ではない」
(伊藤)「満州は日本の属地ではない、清国の領土だろっ!」

最終的に伊藤が押し切り、ほかの協議会参加者(西園寺公望、山県有朋、井上馨、大山巌ら)全員の賛成を得て陸軍撤兵、軍政廃止が決定しました

この2ヵ月後、児玉源太郎は脳溢血で死亡します。

④「桂・ハリマン覚書」をめぐる桂太郎vs小村寿太郎

ポーツマス条約で南満州鉄道(満鉄)を得た日本ですが、過疎地域であるために黒字にはならないだろう、と伊藤博文らは考えておりませんでした。

おまけに日露戦争で日本の国庫は底をついており、余力がありません。

しかし、ここで「鉄道王」と呼ばれたアメリカのハリマンが桂太郎首相に共同経営案をもちかけます

【桂・ハリマン覚書】

9月5日ポーツマス条約で南満州鉄道(大連~旅順)を得る
9月12日来日していたアメリカの鉄道王ハリマンが桂太郎首相に南満州鉄道の共同経営を申し出る。
10月12日「桂・ハリマン覚書」が結ばれる。

渡りに船、とばかりに桂太郎首相、伊藤博文らは賛同します。

賛同理由

1)満州経営に自信がない。経済的負担となる。
2)ロシアがまた攻めてきたら今度は勝てない。満州にアメリカも巻き込んで国際的地域としたい
3)アメリカを巻き込んで満州の平和を保てば対ロシアの国防予算を節減できる。

しかし、ポーツマスから帰国した小村寿太郎(外相)がこれに敢然と意を唱えます。

10月16日小村寿太郎、ポーツマス(アメリカ)から帰国。
10月23日小村寿太郎が猛反対し、閣議決定で「桂・ハリマン覚書」が中止に。

小村寿太郎の反対理由

1)満州経営が成功すると考えていた(かなり以前より)
2)ハリマンのライバルであるモルガン系企業からよりよい条件で多額の融資を受ける目処がたった(むしろ安易な妥協をした政府をたしなめる)
3)ようやく得た満州権益にハリマンが参入しては、今までの苦労が水の泡となるに違いない

いずれにしても、小村寿太郎は「桂・ハリマン覚書」を潰すことになりました。

もし(歴史でifは禁物ですが)、「桂・ハリマン覚書」が批准されて、日米で共同して満州経営をしていたら・・・

その後の世界は現代に至るまで大きく変わっていたかも知れませんね。

もちろん、小村寿太郎を擁護する声もあります。

その後の小村寿太郎(忙しい)

11月6日ポーツマス条約を清国に承認させるために清国へ向かう。
12月22日小村と清国の会談は難航しながらも満州善後条約(北京条約)が結ばれる。

清は日本の満州介入に抵抗したが、旅順・大連は25年間日本の租借地となった。 また、小村は「南満州鉄道の経営は日清両国以外に関与すべからず」と一項を加えることでアメリカの参加を封じた。
ロシア資本がだいぶ入っていたとはいえ、満州は清国の領土、というのが清国の主張。

⑤初代満鉄総裁に後藤新平。実際の経営状況は?

さて、赤字経営が予測された満鉄でしたが、実際はどうだったのでしょうか。

資本金1億円を政府が出し、もう1億円の資本金を一般公募したところ、なんと1077倍もの株式募集がありました

(※実際に国内の株式分は2000万円で残りは外債?モルガン系企業の融資はどうなったか?そのあたりには触れられず)

そして、初代総裁には台湾総督府民政長官だった後藤新平が就任しました

後藤はホテル、学校、百貨店などの多角経営、鉄道沿いの鉱物資源開発を行い、積極的な事業展開をしました。

(ちなみに、後藤は児玉のもとで台湾統治を成功に導いており、満鉄を軌道に乗せることはは児玉の遺志を継いだものでもありました。)

ただし、満州は清国の領土であることをお忘れなく!

⑥関東軍

また、ポーツマス条約で「南満州鉄道を保護するため、鉄道1キロごとに15人の鉄道守備兵を置く権利」を得ました。

これにより大連~長春700キロの間に1万500人の守備兵を置くことができるようになりました

これが、のちの「関東軍」です。

しかし、問題点は、これだけの人数ではロシアに攻め込まれたら対抗できない、という点でした。

(軍隊は既に撤兵。)

現地の大変さもわかってください。

【年表】ポーツマス条約(1905)~関東軍改組(1919)

1905ポーツマス条約。

遼東半島の「旅順」と「大連」が日本の租借地となる。
この地域は関東州と呼ばれ、「関東都督府」が置かれる。
(万里の長城の東端:山海関より東なので「関東」)
1906南満州鉄道株式会社」(満鉄)が設立される。

関東州の主権は清であったが、日本は南満州の鉄道経営、港湾使用、鉱山開発などの経済権益を取得した

この権益を保護するために「関東都督府陸軍部」が設置された。
19071905年から1907年にかけて列強および清と諸条約を結ぶことで、南満州は日本の「非公式帝国」の一部となった。
1911辛亥革命で清が滅亡する。
1915対華21か条の要求」で長城以南の権益拡大を図る
1919関東都督府が「関東庁」に命名変更。

また、関東都督府陸軍部は「関東軍」に改組された

こののち、蒋介石の北伐で日本が関東州における権益を失う恐れが生じたために、張作霖爆殺事件、そして満州事変へとつながるわけです。

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