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☞【大炎上。21個は多過ぎた。】「もう1つ上の日本史」で打線を組んだ:大正編⑤

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「大正時代の日中関係」につきまして。

袁世凱と孫文の対立対華二十一か条五四運動がポイントです。

・・・その前に。

2019年5月4日、台湾に旅行しておりました。

ホテルの新聞を見ると「五四運動百年目」ということで特集が組まれておりました。

てっきり日本に対する非難が散々書かれていると思いきや、

書かれている内容の大半はどうも「国内政治の腐敗」。

日本についての記事は、全体の1/10程度でした。

(漢字ですので大体はわかりました。)

日本の教科書などでは「五四運動」に対して反省を促す主張が多いのですが、

当事国(そう呼ぶには相応しくないかも知れませんが)ではこういう論調であることから、

日本人の論説だけで勉強することには限界があると感じました。

(そういう面でも、英語、中国語がスラスラ読めれば良いのですがね。)

さて、「対華二十一か条」を提出した相手は袁世凱。

袁世凱は「悪」というイメージが強いのですが、

現在では「孫文」=「正義」、「袁世凱」=「悪」という図式は成り立っていないようです。

5捕 孫文も二十一か条の要求の内容とよく似たことを日本に打診しています。(p183)

まず、この時期の日中関係を知るうえでも「辛亥革命」を見ていきます。

辛亥革命略年表

1911.10辛亥革命勃発

★武漢で軍隊が暴動
★軍閥跋扈状態へ
1912.1孫文が臨時大総統に就任

★中華民国成立
1912.2清国滅亡

★宣統帝退位
西太后のやつ、義和団の乱の賠償のために国民に重税課したアルよ。

 

民間資本の鉄道も国有化しようとしたアル。

「扶清滅洋」とか言っていたのに義和団の行動も全否定アル。

そのため民間資本家と地方勢力が結びついて四川で暴動を起こしました。

 

これを鎮圧するはずの軍も蜂起しました。

これが辛亥革命ですね。

辛亥革命以降、袁世凱が実権を握るまで

1912.3袁世凱と孫文の間で取引

★清の軍隊はまだ健在。北洋清軍を率いる袁世凱が交渉人に任命された。

★皇帝溥儀の安全と引き換えに皇帝退位が決定した。

★「共和制の採用」などと引き換えに臨時大総統の地位を孫文より譲渡→袁世凱が臨時大総統となる
1913.3袁世凱により宋教仁暗殺

★宋は国民党を率いて選挙で勝利していた

★中華民国の制度では議会の方が強かったため中央集権を目指す目指す袁世凱により殺害された。
1913.10袁世凱、大総統就任

★のち皇帝就任を目指す
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感想(0件)
孫文=ほら吹き?
なんで孫文が臨時大総統の地位を譲ったのかは、現代の中国のイメージからは離れる必要がありますね。

中央集権はされておらず、各地の軍閥がそれぞれ軍を持っていました。

孫文には十分な武力がありません。

第1次世界大戦勃発以降

1914.8日本参戦
1914.11日本軍、山東省占領。
1915.1対華二十一か条
1915.5最後通牒により中国承認

青島を占領した後、日本が袁世凱政権に出したものが、「対華二十一か条」です。

対華二十一か条

対華二十一か条

★当時の日本は第2次大隈重信内閣。
★外相は加藤高明

【内容】
★「5号、21か条」からなる。
★「1~4号」は各国も内容を知っていたが、「5号」は秘密条項。

【目的】
山東省、南満州、内蒙古の権益を確立しようとした。

【経過】
袁世凱政権は「5号」を除き承諾
★袁世凱は「5号」の存在を各国に暴露。
→日本は「5号は希望に過ぎません」と弁明。

【中国の反応】
★抗日運動の引き金に。

【各国の反応】
★各国とも日本に対して警戒感を抱く。
★特にアメリカは不承認。

【国内の反応】
★日本国内からも批判の声が。(山県有朋、石橋湛山)
★しかし最後通牒を後押しする論調が主。


結局「5号」は一部保留のまま大部分承認、のち撤回となります

重要なのは、1号、2号、4号、5号ですが、

まず、領土保全が書かれた4号は全く問題なしです。

第4号【沿岸不割譲に関する件】←全く問題なし。

4. 中国政府は、中国沿岸の港湾および島々を(日本以外の)他国に譲ったり貸与したりしないことを約束する。

「中国領土の保全」というのが当時の国際的な合意でした。

 

ただ、日本にとって問題なのは、清国の時代に日露戦争で得た中国での権益を中華民国と話し合っていなかったことです。

第2号【南満州及び東部内蒙古に関する件】←これ自体は無理な要求ではない。

2-1. 日中両国は旅順大連の租借期限、並びに南満州鉄道と安奉鉄道のそれぞれ租借期限をいずれも99ヵ年ずつ延長することを約束する。

2号も問題ありません。

旅順・大連の租借は1923年に満了します。

ですので、南満・東蒙の日本の地位明確化は、普通の要求でしょう。

ただ、こんな重要なことをなんで大戦前にやらなかったのかっていうところですよね。

 

日置公使の再三にわたる要求にも関わらず、選挙戦略にこの外交成果を用いようとした加藤高明外相が悪い。

第1号【山東省に関する件】←絶対に宣戦前に行なうべきだった。

1.1 中国政府は、ドイツが山東省に関して条約その他によって中国に対して現在持っているすべての権利、利益、譲与などの処分について、日本国政府がドイツ国政府と協定する一切のことがらを承認することを約束する。

コレはちょっと問題。

利権の他国への譲渡は契約では国際的に禁止されているんですよね。
ドイツと戦おうっていうんだから、そのあたりのところをハッキリしておかないといけなかったんじゃねぇか。
人の土地で争うな、というのが現地に住人の意見アルよ。
加藤高明
え?これくらい当然でしょ?
軍部
せっかく勝利したことだし、頑張った我々はもっと報われるべきだろう。

「5号」の追加を要求ス。

第5号【中国政府に日本人を入れるなど】←軍部の要求が高まってしまい付け加えたことで炎上。

5.1 中国政府に日本人の政治、財政、軍事顧問を雇わせること

※さらに、警察に日本人を雇うことや、中国内の日本の病院、寺院、学校に土地所有を認めること、中国南部の鉄道敷設権なども含む。

これがさらに問題。

軍部の要求が高まったために付け加えました。

山県有朋
訳のわからない無用の箇条まで羅列して請求したるは大失策!

ただ、これを認めようとした袁世凱がいかにも悪者であるかのように言われますが、

孫文ら革命勢力も日本政府の支援を得たいがために、二十一か条の要求と似た内容のものを日本に打診しております。

対華二十一か条は「袁世凱が起草した」っていう話もあるけど、これは孫文が用いたプロパガンダ、と考えれば良い。

ちなみに第3号

漢冶萍公司(かんやひょうこんす)
という会社をを共同経営するという話が3号ですが、これ、漢字が難しいですよね・・・

対華二十一か条後

1916.3袁世凱死去
1917.1段祺瑞政権に西原借款
1917.11石井ランシング協定
1919.1パリ講和会議始まる
1919.5五四運動

対華二十一か条によってすぐに五四運動が起きたわけではなく、世界大戦が終わってから、ということも覚えておきましょう。

ちなみに、袁世凱死後、「軍閥跋扈状態」となります。