こんにちは。
今回ご紹介するのは「ロシア革命と日本への影響」についてです。
【ロシア革命の日本への影響】
ロシア革命により帝政ロシアが崩壊して大戦から離脱すると、第1次世界大戦でドイツを挟撃できなくなる。
この事態を恐れた英仏ら連合国側の意向もあり、日本は「シベリア出兵」を決定。
国内では米の投機的な買い占めが起こり、各地で「米騒動」が勃発。
寺内内閣は倒壊し、原敬が内閣総理大臣となる。
日本はシベリアに親日政権樹立を目指するが、事態は泥沼化。大した戦果を得られず、出費がかさんだのみ。ロシア帝国に武器を貸与した際に貸したお金も戻らず。
4二 原敬内閣の成立事情に「シベリア出兵」「米騒動」は欠かせない(p189)
そして、ロシア革命は1917年ですが、「ソ連国」ができたのは1922年です。
間違えやすいですが、ロシア革命ですぐに「ソ連国」が成立したわけではないですよ。
ロシア第一革命(1905)~ソ連成立(1922) 略年表
1905 | ロシア第一革命 日露戦争中に明石元二郎を中心とする「明石機関」はロシアの革命活動家を支援して(→ロシア第一革命)ロシア帝国の弱体化に貢献。 |
1916.10 | 大隈内閣→寺内内閣 |
1917.3 | 二月革命(ロシア暦で二月) 第1次世界大戦の長期化で首都で暴動が起きる。 国会では立憲民主党を中心に臨時政府が樹立され、皇帝ニコライ二世は退位。 |
1917.4 | レーニン、ロシアへ。「四月テーゼ」発表。 レーニン、封印列車でロシア帰国。 混乱を狙うドイツの意図もあった。 臨時政府と衝突したレーニンは潜伏活動。 |
1917.11 | 十月革命(ロシア暦で十月) 臨時政府は戦争の継続を選択。 反対する国民の声が高まり、兵士・農民の支持を得た社会主義左派ボリシェビキが武装蜂起して政権を奪う。 ※(評議会による)ソビエト政権は誕生するも、ソ連国は成立していない |
1918.1 | 選挙でポリシェビキが大敗 社会革命党(ケレンスキーら)が第一党となる。 しかし、レーニンは議会を即解散し、軍事クーデターのような形でポリシェビキによる独裁体制を建てる。 |
1918.3 | ドイツと単独講和(ブレスト=リトフスク条約) 各国は革命の波及を恐れて干渉戦争を開始(→シベリア出兵)。 |
1918.7 | 皇帝一家処刑 富山で米騒動勃発、全国に波及 |
1918.8 | 日本軍、シベリア出兵 |
1918.9 | 寺内内閣→原内閣 |
1920.3 | 尼港事件(日本人が虐殺される) →北樺太占領へ |
1921.11 | 原敬暗殺 (→高橋是清内閣) |
1922.10 | 日本軍、ウラジオストクから撤兵 |
1922.12 | ソ連成立 内戦を抑え、対外戦争を退けた後に成立。 |
1925 | 日本軍、北樺太から撤兵 |
世界史劇場 ロシア革命の激震 臨場感あふれる解説で、楽しみながら歴史を“体感”で [ 神野正史 ]価格:1,760円 (2020/10/24 18:21時点) 感想(1件) |
選挙で大敗したっていうのに、なんていうことだっ!
ロシアと言うと日露戦争のイメージが強いかもしれませんが、実は日露戦争後の日露の関係は極めて良好だったのですよ。
第1次世界大戦中もロシアに武器を貸与していたのですがね。
それがロシア革命でパァですよ。金返して欲しいですよ。
それはそうと、なんで第1次世界大戦が終わってわれわれもシベリアから撤兵したというのに、日本だけ撤兵しなかったというのですか。
そりゃ、あんた、死んだ仲間たちのことを思うとね・・・【コチラも】
その台詞、日中戦争の時も言うんだろ?