こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「韓国併合」です。
『詳説日本史研究』p382「韓国併合」の項の1行目に、
「日露戦争の勝利によって日本の大陸進出は本格化した。」
p382
とありましたので、てっきり韓国併合は日露戦争後の話と思っておりましたが、正確に言いますと、日露開戦同時の話でした。
「韓国併合」への道は、日露戦争開戦と同時に始まりました(p130)
以下、「もう一つ上の日本史」(浮世博史、2020年)、「詳説日本史研究」(山川出版社、2017年)、「超解!日本史史料問題」(竹内睦泰、2004年)などを参考にさせて頂きました。
【年表】日露開戦(1904年2月)~日露戦争終結(1905年9月)
1904年2月8日 | 日露戦争開戦 日本軍、漢城制圧 |
1904年2月23日 | 日韓議定書(※1) 韓国に日本への協力を約束 |
1904年4月8日 | 英仏協商 |
1904年8月22日 | 第1次日韓協約(※2) 韓国の財政、外交顧問は日本の推薦者とする |
1905年1月22日 | ロシア国内で「血の日曜日事件」 |
1905年5月23日 | 日英同盟強化の方針を決定 |
1905年5月27日 | 日本海海戦 |
1905年7月29日 | 桂ータフト協定(日本ーアメリカ)(※3) アメリカによるフィリピン支配と、日本による韓国保護化の相互承認。 |
1905年8月12日 | 第2次日英同盟協約 攻守同盟を結び、適用範囲をインドまで拡大。イギリスは韓国保護国化の保証と援助を了承。 |
1905年9月5日 | ポーツマス条約調印 同日、日比谷焼き討ち事件 |
(※1)日韓議定書
これにより日本軍が韓国内で行動する自由が認められました。
全6か条からなり、日露開戦13日後に締結されました。
第4条 第三国ノ侵害ニ依リ若シクハ内乱ノ為メ大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノホゼンニ危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ速ニ臨機必要ノ措置ヲ取ルヘシ・・・
「超解!日本史史料問題」p226
(※2)第1次日韓協約
財政、外交顧問がおかれます。全3条。
一、韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル日本人一名ヲ財務顧問トシテ・・・
一、韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル外国人一名ヲ外交顧問トシテ・・・
「超解!日本史史料問題」p226
(※3)桂ータフト協定
「桂ータフト協定(日米)」、翌月の「第2次日英同盟協約」、
戦後の「日仏協約」により日本は韓国支配の承認を受けました。
(ロシアとはポーツマス条約で結ばれます。)
三国干渉の二の舞を避けるためでもありました。
これらの協定は「ハーグ密使事件」の際に威力を発揮します。
【年表】日露戦争後:第2次日韓協約(1905年11月)~韓国併合(1910年8月)
1905年9月5日 | ポーツマス条約 日本が大韓帝国を保護国とすることをロシアに認めさせた。 |
1905年11月17日 | 第2次日韓協約(※4) 大韓帝国の外交権を日本が掌握する。 |
1907年6月10日 | 日仏協約 フランスのインドシナ支配を認め、日本の韓国、台湾、南満州の支配を認めてもらう。 |
1907年7月18日 | ハーグ密使事件により高宗退位(※5) 第2次日韓協約を日本の内政干渉を批判した高宗であったが、これを協約違反として高宗は退位。 |
1907年7月24日 | 第3次日韓協約(※6) 内政権も日本が統轄。韓国軍隊解散(→義兵運動) |
1908年12月18日 | 東洋拓殖会社が設立 韓国の拓殖事業を推進するための国策会社として設立。農業経営や灌漑・金融事業を行なう。 |
1909年10月26日 | 伊藤博文暗殺 ※伊藤博文は併合には慎重であったことから併合強硬派による犯行の疑いももたれている。 |
1910年8月29日 | 韓国併合 (※7) ※一進会という政治結社が日韓合邦を望んだという説があるが、日本人内田良平(アジア主義者、政治運動家)が黒幕である。一進会は皇族存続など「対等な合併」を主張していた。 |
1911年2月11日 | 小村寿太郎、日米通商航海条約改訂 日本は関税自主権回復。 |
(※4)第2次日韓協約
「韓国保護協約」、「乙巳(いっし)保護条約」とも言われます。
漢城(ソウル)に「統監府」をおき、伊藤博文が初代統監となりました。
第3条 日本国政府ハ其代表者トシテ韓国皇帝ノ闕下ニ一名ノ統監ヲ置ク。統監ハ専ラ外交ニ関スル事項ヲ管理スル為メ京城ニ駐シ・・・
「超解!日本史史料問題」p228
(※5)ハーグ密使事件
ハーグの万国平和会議に皇帝の密使を送って抗議しましたが、受け入れられませんでした。
既に列強とは話がついていたのです。
この事件を機に、高宗は退位させられます。
(※6)第3次日韓協約
そしてさらに厳しい協約が結ばれます。内政権です。
軍隊を解散しましたが、軍人の多くは反日運動を展開しました。(「義兵運動」)
第1条 韓国政府ハ施政改善ニ関シ統監ノ指導ヲ受クルコト
「超解!日本史史料問題」p228
(※7)韓国併合
「伊藤博文」暗殺により、「韓国併合」が一気に進みます。
京城(漢城より呼称変更)には天皇直属の「朝鮮総督」(初代:寺内正毅、のちの首相)をおきました。
第1条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス
「超解!日本史史料問題」p230
【まとめ】
【日露戦争中】
日韓議定書
↓
第1次日韓協約【顧問設置】
↓
桂ータフト協定
【日露戦争後】
第2次日韓協約 【外交権】
↓
ハーグ密使事件
↓
第3次日韓協約【内政権(軍事権含む)】
↓
韓国併合