~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

ラスト。

非常に重要なことだけど、盲点。

帝国主義諸国の植民地支配の多様性」について追求したことはなかっただけに、意外でした。

9投 スペインがその初期において南米に行なったような植民地支配は、19世紀後半以降、行なわれていません。(p133)

「植民地支配=収奪型」と考えるのが誤った理解なのです。
イギリスは現地に鉄道を敷き、インフラを整備しました。

そして、学校も設立し、教育も行ないましたよ。

フランスは「同化政策」。

 

町並みもフランス式に。

植民地化する前のアルジェリアは半数が5歳前に死んでいました。

植民地してからは人口3倍ですよ。

つまり、日本が朝鮮でやったことも「すごい」ことだけど、列強としては「普通」のこと

 

ちなみに、朝鮮は30年足らずで人口は2倍、平均寿命は24→42歳。

変な刑罰廃止なども。

けど、だからと言って、感謝しろとは言わねえよ。

朝鮮が日本式に近代化することで日本も得られた恩恵があったんだからよ。

ちなみに、「奴隷制廃止」も人道的な理由というのは表向きで、「安価な労働力の創出」が背景にありまっせ。

日韓関連年表 1905年~1910年

1905年11月17日第2次日韓協約調印

大韓帝国の外交権は日本が持つことになる。(事実上、保護国に。)
1907年7月18日ハーグ密使事件により高宗退位
1907年7月24日第3次日韓協約

内政権も日本が統轄。
1909年10月26日伊藤博文暗殺

※伊藤博文は併合には慎重であったことから併合強硬派による犯行の疑いももたれている。
1910年8月29日韓国併合

※一進会という政治結社が日韓合邦を望んだという説があるが、これには日本人内田良平(アジア主義者、政治運動家)が黒幕である。しかも、一進会は皇族存続など「対等な合併」を主張していた。
1911年2月11日小村寿太郎、日米通商航海条約改訂

関税自主権回復。

関税自主権回復について

日清、日露で勝利して、「日韓併合したから一流国と認められて関税自主権回復した」っていう見方はあまりに浅はか
関税は物流の停滞を招きます。相互に発展した国の場合、関税がない方が経済規模が拡大するのです

日清戦争以後、日本の経済状態が上向きになったことで、列強の資本家、銀行家が日本のマーケットとしての価値を認めたからこその成功でしょう。

いつまでも「植民地=収奪」じゃないんだな。

「世界に打って出る日本」打線まとめ

1右 井上馨も、クーデターへの関与を伏せて(p78)【コチラ

2左 東学党の乱は2回あり、2回目が、日本によって鎮圧された(p83)【コチラ

3中 善意やボランティアで国家予算の2倍もの戦費をつぎ込む戦争をする国はありません(p83)

4三 閔妃殺害事件にまったく触れずに、この時期を説明するのは不正確(p98)【コチラ

5一 ロシアが朝鮮半島を支配下に置くことを具体的に企図したのは1902年から(p106)【コチラ

6二 「バルティック艦隊」は世界最強だったわけではない(p115)

7遊 「脱亜入欧」を選択し、その延長上の外交政策が作り出した国際関係の結果が、日清戦争であり、日露戦争だった(p126)【コチラ

8捕 「韓国併合」への道は、日露戦争開戦と同時に始まりました(p130)

9投 スペインがその初期において南米に行なったような植民地支配は、19世紀後半以降、行なわれていません。(p133)