- 2022/01/21
- 2022/01/22
☞【開戦時の海軍トップは?】『必敗の日米開戦をなぜ?』(昭和陸海軍の失敗:海軍-4)
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「対米開戦時の海軍トップ」についてです。 日米開戦時、海軍の「軍令部総長」は永野修身、「海相」は嶋田繁太郎でした。 一番大事な時期に、彼らがトップだった理由は、「伏見宮に選ばれたから」のようです。 以下、『昭和陸海軍の失敗』 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「対米開戦時の海軍トップ」についてです。 日米開戦時、海軍の「軍令部総長」は永野修身、「海相」は嶋田繁太郎でした。 一番大事な時期に、彼らがトップだった理由は、「伏見宮に選ばれたから」のようです。 以下、『昭和陸海軍の失敗』 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「なぜ太平洋戦争は1941年に起きたのか?」です。 僕自身、なぜ「1941年」だったのか?という視点は今までありませんでした。 しかし、日米は日露戦争の前後くらいからずっとライバル関係であったため、「それ以前にも起きる可能性 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「ルーズベルトが犯した19の失策」(日米開戦編)です。(前回まではコチラ) 「第2次世界大戦参戦」はそもそも、「公約違反」ですし、「議会を無視」した行動でした。 以下、「フーバー大統領が明かす日米開戦の真実」第3章「ルーズベ […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「フランクリン・ルーズベルトがいかに日米開戦を望んでいたか」についてです。 既にそうした内容のタイトルの書籍は刊行されておりますし、もはや「定説」となっているのかも知れませんが。 ただ、「真珠湾奇襲攻撃を知っていたか」どうか […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「1941年、11月」です。 10月末に行なわれた大本営政府連絡会議で日米交渉の期限は11月30日とする方針が決まりました。 (※11/5の御前会議で正式決定) 開戦準備をする者、最後の望みを賭けて交渉を継続する者、開戦やむ […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「1941年10月」についてです。 この時までに陸軍からは「対米英蘭即時開戦論」が出ておりました。 日米首脳会議を実現できなかった近衛文麿は退陣し、東条英機が首相に就き、帝国国策遂行要領の練り直しが行なわれます。 それにして […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、『教養としての昭和史集中講義』より、「日米開戦」についてです。 「日米開戦は避けることができた」 「ルーズベルトは真珠湾攻撃を知らなかった」 「大東亜共栄圏は後付け理論」 「組織対立が最悪の事態を生んだ」 日米開戦は避けるこ […]