~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

著者は、「田安徳川家11代当主。1929年、ロンドン生まれ。」だそうです。

あれ?、そういえば徳川家達が参加した会議ってロンドンだっけ?と思って調べてみましたけど、徳川家達が全権として参加したのは「1921~1922年」の「ワシントン軍縮会議」

一方、ロンドンで行われた「ロンドン海軍軍縮会議」は1930年。

さらに言えば、本著者である徳川宗英さんは、家達の直系ではなく、その弟、達孝の孫にあたります。

よって、宗英さんがロンドン生まれであるからと言って、ロンドン軍縮会議とは全く関係がない、でも徳川家は海外赴任するなど、抹殺されるわけでもなく維新後もそれなりに重責を担っていたんだな、ということが改めてわかりました。

前置きはそれくらいにして、本書のサブタイトルは 【異才、天才、奇人、変人、田安徳川家当主が語る「とっておきの話」】。

この手の話で必ず出てくるのが平賀源内ですが、注目すべき点は、平賀源内は「奇天烈な発明をする町人」ではなく、「田沼意次のスポンサーも得て事業を行う“下級”武士の子」という点でしょうか。

江戸時代は決してガチガチの身分社会だったわけではなく、少なくとも田沼意次の時代には才覚があればのしあがることができた、ということがわかりますね。

また、源内は「日本で最初に油絵を書いた」人物でもあるのですが、杉田玄白から解体新書の挿絵を書く絵師の推薦を求められて推薦したのが、小野田直武

なんと彼はつい最近まで武士をやっていて、画家として最初にやった仕事がこの大仕事。

この自由闊達さこそ江戸時代の真骨頂、ともとれます。

平賀源内と杉田玄白は同時代人なんですよね。

1つ1つ暗記するのは大変ですが、こうやってつながりを知ると、より覚えやすいと思います。

ほか、江戸時代の江戸在住日本人の異様な識字率の高さ(江戸が80%であるのに対して、同時代のロンドンが20%程度)、地方でも20%程度の識字率であった要因の1つとして、「寺子屋」の存在を挙げております。

寺子屋のシステムとしては1つの教室が2,30人。家の手伝いもあったので、「遅刻、早退自由。」

おまけに転校も自由だったので、ダメなところは自然淘汰されたらしいです。

個別学習、自学自習が基本だそうですが、与えられた教材が終わるまでは次に進めない、というスタイルだそうです。

公文がそれに近いのでしょうか。

小学校1,2年生のうちに「寺子屋」で基本的な漢字の読み書きと四則演算を学んできてくれたら、学校の先生はどんなに楽だろうか、と思ったりもします・・・。

ほか、砲術で有名な江川太郎左衛門英龍が「パン」に着目していた話や、宮本武蔵が島原の乱で石がすねにあたって動けなくなってしまった話、シーボルト事件で「間宮林蔵」は密告者「ではない」という話、三越を作った三井高利の話など、「とっておきの話」満載。

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ちなみに、本来、冬が旬であるうなぎを「土用の丑」の日食べる習慣は平賀源内がプロデュースしたものだそうです。(諸説あり)