【2】協調か独立か?日本の行く末をめぐる攻防戦(1953-60)
[key words:神武景気、なべ底不況、五五年体制、日ソ共同宣言、新安保条約、安保闘争]【1953年】
- 李承晩ラインに出漁し射殺され問題に
- スターリン暴落(スターリンの死で株価暴落)
- 吉田首相「バカヤロー解散」
- 奄美群島返還
【1954年】
- 吉田茂→鳩山一郎(~1956年)
- 第5福竜丸事件と原水爆禁止運動、洞爺湖事故
- 自衛隊誕生
- 「ゴジラ」封切
- 日本民主党結成(鳩山一郎・岸信介・重光葵ら)
【1955年】
- 砂川基地闘争
- 「原子力基本法」
- 森永砒素ミルク事件
- GATT(関税と貿易に関する一般協定)に加盟
- 自由民主党結成、「55年体制」スタート
【1956年】
- 鳩山一郎→石橋湛山
- 沖縄問題解決国民総決起大会
- 「もはや戦後ではない」が流行語に
- 日ソ国交回復共同宣言(鳩山)
- 国連に加盟
【1957年】
- →岸信介(1960年)
- 岸・アイゼンハワー共同声明「日米新時代来る」
- 東京都の人口世界一に
- 東海村原子炉に日本初の「原子の火」がともる
- ソ連、世界初の人工衛星「スプートニク号」打ち上げ成功
【1958年】
- 国連安保理事会の非常任理事国に
- 国立競技場完成
- 売春防止法実施
- 東京タワー完成
【1959年】
- 皇太子ご成婚
- 国民年金制度発足
- 水俣病問題活発に
- 労働条件の向上を目指した「三井三池争議」始まる
【1960年】
- 日米新安保条約調印
- ハガチー事件(米報道官がデモ隊に包囲される)
- 全学連、国会で機動隊と衝突。樺美智子さん死亡。
- 大規模な国会デモ。日米新安保条約が自然承認。
- 岸信介→池田勇人
【神武景気】
1953年から73年にかけての20年間が日本の高度経済成長期である。朝鮮戦争により繊維系企業に生じた特需は「糸へん景気」と呼ぶ。繊維系以外でも三菱重工、富士重工などの旧財閥もこの時期に復活した。とはいうものの日本企業は生産力のなさを痛感し、「設備投資」に力を入れる。1954年から57年までは「神武景気」と呼ばれ、産業が活性化。
【なべ底不況】
しかし、買い物ばかりであったので神武景気は長続きしなかった。固定相場制の影響もあり、「好況で円はあるのに ドルはない」といった状況で国際収支の天井にぶつかっていた。日銀は公定歩合を引き上げ、通貨交換も制限があったため、日本は自らの手で好況を終わらせた。1957年~58年は「なべ底不況」と呼ばれる。
【吉田vs鳩山】
吉田が言った「バカヤロー」から始まった内閣不信任決議案で鳩山一郎・岸信介・河野一郎・三木武吉・石橋湛山ら22名が賛成。自由党を脱退し、「院内会派・自由党」を結成。「バカヤロー解散」後の総選挙で自由党は過半数をとれず、鳩山に復党を促しなんとか政権を守る。再び、鳩山らが「日本民主党」を結成。その後も勢いが続き、1954年12月、ついに吉田茂は辞任し、日本民主党の鳩山一郎が首相となる。
【五五年体制】
1955年、分裂していた社会党右派と左派が再合一。これにより社会党は改憲阻止に必要な議席数(両院の1/3)を得る。
保守系は危機感を抱き、自由党と民主党が合体。吉田率いる自由党は「対米協調」、鳩山率いる民主党は「対米自立路線」、「自主憲法制定」であったが、社会党の躍進は自由党にとっては安保と経済発展の邪魔、民主党にとっては憲法改正の邪魔、ということで利害関係が一致。
ただ、これは本来の二大政党ではなく、「政権交代も憲法改正もない。1+0.5政党制」である。
<自民党も元々一枚岩ではない>
自由党(吉田茂) 親米 護憲
民主党(鳩山一郎) 自立 改憲
【日ソ共同宣言】
鳩山一郎の最大の功績。相手はフルシチョフ。これにより、65万人とも言われるシベリア抑留の日本人捕虜が救われ、国連加盟もスムーズにいき(ソ連が拒否権もっていた)、北方領土も歯舞、色丹の二島返還の約束を取り付けた。
憲法改正は執念を燃やしたが実現できなかった。
【自衛隊誕生】
警察予備隊(1950)→保安隊(1952)を経て、吉田茂政権の最終年で自衛隊誕生(1954)。
【日米新安保条約】
岸信介は「自主独立」と「親米」両面を重視した。
一個の独立国家としてアメリカと対等に付き合い、はっきり自分の意見の言える国にしたいと努力し、アイゼンハワーと日米新時代共同声明を行う。アメリカとしてもソ連の脅威のため、日本の要求を飲んだ。こうして「日米新安保条約」調印。「相互協力」が条約名に加わった。
【安保闘争】
日米新安保条約には国会での承認が必要であるが、軍事同盟色が強くなるとして反対運動が盛んに。ここで生まれた急進派を「全学連」と呼び、全学連運動家の樺美智子さんが国会議事堂の前で圧死するという事件もあった。参議院では30日間採決なしが続き、「衆議院の優越」により自然承認。
<つづく>
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