こんにちは。
今回ご紹介しますのは、尾崎行雄の「内閣弾劾演説」です。
日本史を勉強して良かった点は、
故人たちの叡智に学び、
現代に活かせる点だと思います。
(逆にそれがなければ学ぶ意味も薄いのかと。)
そんな中でも、この尾崎行雄の「内閣弾劾演説」は、
いろんな場面に応用が効きそうな、かなり役に立つ演説かと思います。
(私自身、一番好きな演説です。)
さて、早速中身を見ますと、
(1913年2月5日、桂首相を弾劾)
彼等は常に口を開けば直ちに忠愛を唱え、あたかも忠君愛国は自分の一手専売の如く唱えてありまするが、その為すところを見れば、常に玉座の蔭に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動をとっておるのである。彼等は玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代えて政敵を倒さんとするものではないか。…
(現代語訳)いつでも彼らは口を開けばすぐに忠愛を語り、あたかも忠君愛国が自分たちの専売であるかのように唱えていますが、その行為を観れば、常に天皇の陰に隠れて政敵を倒そうとするような行動をとっているのである。彼らは天皇の玉座を防壁とし、詔勅を弾丸にかえて政敵を倒そうとするものではないか。…
(以上、日本史のライブラリーより)
…どうでしょう。
「あたかも忠君愛国は自分の一手専売の如く唱え」
っていうフレーズが良いんですよね…
…現在、オミクロン株が猛威をふるっています。
新型コロナウイルスは、「未知のウイルス」ですし、
国民の安全を守ることは大事です。
ただ、そうした「正論」の名のもとに、
学生の教育機会を奪ったり(課外活動含む)、
人々の仕事を蔑ろにしていいものか、
とは思うんですよね…。
こんなこと言うと、
「お前は国民がどうなってもいいと思っているのか?」
などと言われかねないのですが、
くれぐれも「二元論」に陥ってはいけませんね。
私はもちろんですが、
みな、大なり小なり安全なり対策について考えていると思うんですよね…
本日は2月5日。
「コロナで自粛」は「忠君愛国」と同じくらい否定しにくいものとなってしまいましたが、
もし109年の時を経て現代に尾崎行雄が甦ったら何て言うでしょうか?
P.S.
大学の現役部員から「今年も大会が行われるかわからない」と連絡をもらいました。
私は大学時の部活動のおかげで今があると思っている派なので、
コロナによって奪われた学生たちの機会について、やるせない思いが強いのですよね…。
↓↓史料集がオススメです。
To refrain from various activities in COVID-19 has become synonymous with loyalty and patriotism. What would Yukio Ozaki say if he were revived today?