~只今、全面改訂中~

☞【講和などするはずない!】『独ソ戦ー絶滅戦争の惨禍』(大木毅、2019年、岩波新書)

こんにちは。

今回は「2020年新書大賞」に輝いた、『独ソ戦』を紹介します。

正直なところ、このテーマで8万部以上も売れたのはスゴイな、と思います。

(ちなみに2位は「ケーキを切れない非行少年たち」でした。)

職場ではあまり見かけませんが、歴史に興味を持っている人は意外と多いのかなと思います。

さて、日本史だけを勉強していると、自虐弛緩にさいなまれる時があります。

しかし、世界史まで目を向けてみると、「とんでもない」ことだらけということがわかると思います。

独ソ戦におけるソ連側の死者2700万人、ドイツ側の死者600~800万人とかって、ちょっと規模が違いすぎますよね・・・

さらに、収容所に連れて行かれて「効率化のため」毒ガスで殺されたり、強制労働させられて餓死したり・・・

コロナとの戦いを戦争に例える人がいますが、独ソ戦を読むと断じてそれは違うだろうと、言わざるを得ません。

もちろん、「総力戦」が必要な点とか、いくつか共通点があることは認めますが。

さすが「新書大賞」をとるだけのことはあって、読みやすい書き方でしたが、最初から年表を整理しながら読むべきだったと後から後悔しました。

簡略しすぎと怒られそうですが、以下、簡略年表を掲載します。

簡略年表

1941年6月22日ナチス・ドイツとその同盟国の軍隊が独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻

※ドイツはイギリスがなかなか降伏しないのは、アメリカとソ連が味方につくからではないかと考えた。そのためソ連を攻撃決意。

※このソ連攻撃は数ヶ月前には決定されており、ソ連のスパイはその正確な時期まで通達していた。しかし、スターリンはそれを信じようとしなかった。そのため、緒戦は「奇襲」となり、ソ連軍は大打撃を被る。
1941年7月16日ドイツ軍がスモレンスク占領するも、ソ連軍は粘り強く戦う

※ドイツは緒戦で大勝利を収めたが、ここでの粘りで大きく消耗。ソ連が早期決着を回避できたことがターニングポイントであったと指摘する識者も多い。

※危機に瀕してもロシア人はタフだった。これには「共産党絶滅」を掲げるヒトラーに対して、スターリンがこの戦をナポレオン侵攻以来の「大祖国戦争」と位置づけたことも影響している

※一方で、ドイツ軍の戦略の無さも浮き彫りとなる。
1941年9月8日レニングラード包囲開始          

※レニングラードはポリシェビキ生誕の地であり、根絶を目指して徹底した兵糧攻めがとられた。現地では人肉食の罪で2105人が逮捕されたほどである。包囲は900日に及ぶ。
1941年10月2日モスクワ攻防戦

※既に大西洋ではアメリカ軍艦との衝突は多数あったが、本格的にアメリカとの戦争に突入した。ドイツは同盟国である日本がアメリカと戦うことを企図した。

※この年は滅多に見られないほどの豪雪、厳寒となり、ドイツ軍の進撃は止まり、12月にはソ連軍の反撃も始まった。

※この反撃は成功したが、有頂天になったスターリンはさらに無謀な進撃を行い失敗。これを自身の能力と思ったヒトラーは以後、強権を発動していく。1400キロ離れた大本営から前線の指揮が可能と考えた。

【スパイ・ゾルゲの暗躍はコチラ】
1941年12月8日日本が真珠湾攻撃

※ドイツ軍は米英の目が日本へ向いているうちにソ連攻略を目論む。

※この時点で既に米英はソ連に援助を開始しているが、米英にとっても、ソ連陥落は避けたかった。一方でスターリンはドイツ軍の攻撃を一手に受け容れる代償として、バルト三国、ポーランドの国境線承認などをイギリスに求めている。

※【コチラも
1942年8月23日スターリングラード攻防戦開始

※6月に東部総合計画が出される。これは戦争終結後の最初の25年でポーランド、バルト三国、ソ連西部の住民3100万人をシベリアに追放して死に至らしめるというものだった。さらに残された「ドイツ化できない」住民1400万人を奴隷化するという。

※スターリンはスターリングラード死守を宣言。前線部隊の後方には退却を阻止するような「阻止部隊」も登場する。凄惨な市街戦が行なわれた。
1942年11月19日ソ連、「天王星作戦」で大反撃

※これにはソ連の軍人・軍事思想家により完成された「作戦術」が大きく影響している。「作戦術」とは、「戦術」と「戦略」の間にあるものとされ、連続攻撃を特徴とする。

※1937年以来の大粛清で軍幹部や将校らが殺害、追放されていた。しかし、脇役に追いやられていたものの中から、参謀将校の一部が復帰。さらに選りすぐり、フョードル・E・ボコフ少将を長とする精鋭集団を作り、冬季攻勢の作戦が練られていた。

※ヒトラーも「死守指令」を出す。
1943年2月2日スターリングラードのドイツ軍降伏

※ヒトラーは第6軍トップのパウルスになぜ自決しなかったのかと憤る。

※既にドイツはソ連に勝つ能力を失ったが、ヒトラーは和平する気など全くなかった。日本もドイツが兵力を温存した状態でソ連と講和して、日独vs米英に持ち込みたかったが、外交で独ソ戦を終結させることは、はじめから不可能であった。
1943年7月5日クルクス会戦

※ドイツ軍は持てる装甲部隊のほぼ全てをクルクス突出部に集めた。しかし、その時点で、失敗していたと識者は言う。クルクス会戦におけるソ連軍の勝利は、クルクス以外の場所で勝ち取られていたということだ。

※7月12日の戦争で、ソ連軍は戦車235両を失う一方で、ドイツ軍が失った戦車は3両。マンシュタインは勝利を確信した。しかし、連合国軍がシチリア島上陸したとのことで、ヒトラーは「城塞」作戦中止を告げる。
1943年7月10日連合国軍がシチリア島上陸
1944年1月27日レニングラード解放
1944年6月6日連合軍、ノルマンディー上陸
1945年1月12日ソ連軍、ドイツ本土進攻
1945年2月4日ヤルタ会談
1945年4月16日ソ連軍、ベルリン侵攻

※連合軍の東進速度を見て、スターリンもベルリン攻略を急いだ。
1945年4月30日ヒトラー自殺

※5月2日にベルリン陥落
1945年5月7日ドイツ降伏

※東方植民地帝国建設を目指した世界観戦争は他民族による占領と民族の分割と言う形でピリオドを打った。

※この戦争での死者はソ連2700万、ドイツ600~800万とも言われる。戦時国際法を無視した掠奪、ジェノサイドなどの蛮行が双方により行なわれた。

※この独ソ戦は実態を知らされないまま長らく誤用された。ソ連側はこの勝利を国民の神話として流布した。ドイツ側はヒトラー1人に責任を押し付けた。ヒトラーの政策を後押ししたのは当時のドイツ国民でもある。

【追記】作戦術とコロナ

特に注目したのが、ソ連の【アビラーチヴノエ・イスクーストヴァ】、日本語にすると【作戦術】という理論です。

これは、戦争に勝つための【戦略】と、戦闘を有利に進めるための【戦術】の間に、【作戦術】があるという理論です。

おそらく不十分な説明になるでしょうが、僕のイメージではこの【作戦術】は【戦略】と【戦術】をつなぐものであり、【作戦術】によってこそ、「大規模に」「連続的な」攻撃が可能になると言うものです。

なるほど、いくら局地戦で勝っても、気がつくと負けている可能性がある、というのは今のコロナとの戦いにも当てはまるかも知れませんし、縦割り型にならざるを得ない組織では、【作戦術】が不可欠になってくるでしょう。

そんなわけで、局地的な対策以外に、何か重大な見落としがないか、できそうなものはないのか、なるべく考えるように心がけたいと思います。

――ただ、ワクチン接種前後の「禁酒」を命じたところ、大・大・大反発を食らうとはロシア政府も想定していなかったでしょうが・・・。

https://www.yomiuri.co.jp/world/20201223-OYT1T50306/

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戦後ドイツ占領政策の怖い話

「日本は誰と戦ったのか」より。

1944年6月のノルマンディー上陸作戦以後、ドイツの敗戦は必至となりアメリカ政府の各省庁でドイツ降伏後の政策が検討されました。

これらは穏健なものでしたが、そこでハリー・デクスター・ホワイト(ルーズベルト側近/財務官僚/コミンテルン工作員)は過激な政策を打ち出し、財務省内で通して、ルーズベルトの承認も得ておりました。

それは、

・ドイツの工業を完全に粉砕して純農業国にする

・降伏と同時にドイツ人5万人を射殺する

・ソ連の収容所で強制労働させる

といったものでした。

あまりに過激だったのでドイツの降伏は遅れ、その間にソ連は欧州で深く西進できました。

ドイツはソ連ではなく英米に降伏したかったのですが、このような条件を突きつけられてはおいそれ降伏できません。

結果、長期的に見て欧州でソ連に対抗できる国は消滅しました。

このパターンはアジアでも同じで、日本は無条件降伏を要求され、抵抗せざるを得なくなり、結果、ソ連の対日参戦準備が整うまで降伏できないという状況になりました。