- 2021/04/01
- 2021/04/08
☞【日米・日英開戦、快進撃つづく】「1941年12月」
こんにちは。 今回は、「1941年、12月」をご紹介したいと思います。 10月に東条内閣が誕生して今後の方針を練り直しました【コチラ】。 11月に日米交渉が不調に終わり、開戦を決意しました【コチラ】。 そして、運命の12月を迎えます。 以下、「総力戦のなかの日 […]
こんにちは。 今回は、「1941年、12月」をご紹介したいと思います。 10月に東条内閣が誕生して今後の方針を練り直しました【コチラ】。 11月に日米交渉が不調に終わり、開戦を決意しました【コチラ】。 そして、運命の12月を迎えます。 以下、「総力戦のなかの日 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「1941年、11月」です。 10月末に行なわれた大本営政府連絡会議で日米交渉の期限は11月30日とする方針が決まりました。 (※11/5の御前会議で正式決定) 開戦準備をする者、最後の望みを賭けて交渉を継続する者、開戦やむ […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「1941年10月」についてです。 この時までに陸軍からは「対米英蘭即時開戦論」が出ておりました。 日米首脳会議を実現できなかった近衛文麿は退陣し、東条英機が首相に就き、帝国国策遂行要領の練り直しが行なわれます。 それにして […]
1941年6月22日から始まった独ソ戦。 当初劣勢だったソ連が挽回した契機の1つが、ゾルゲ諜報団がもたらした「日本は今年度中は参戦しない」という情報でした。 同時期に関東軍特殊演習などが行なわれ、スターリンは日独に挟撃されることを恐れますが、演習も8月には中止 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「戦後」のダイジェストです。 もっとも、「戦後」という言葉は日本では「第2次世界大戦後」という意味を持ちますが、他国では第2次世界大戦後もいくつかの戦争があったので、「戦後」という言葉を使うと、どの戦後なのかわかりません。 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、『教養としての昭和史集中講義』より、「日米開戦」についてです。 「日米開戦は避けることができた」 「ルーズベルトは真珠湾攻撃を知らなかった」 「大東亜共栄圏は後付け理論」 「組織対立が最悪の事態を生んだ」 日米開戦は避けるこ […]
こんにちは。 前回は「日独伊三国同盟推進派」で打線を組みました。 しかし、必ずしも推進派が大勢だったわけではありません。 そこで、今回は「日独伊三国同盟反対派」で打線を組みました。 昭和天皇が反対派であったにも関わらず、この同盟が結ばれたことに驚きを禁じ得ませ […]