――1940年9月27日。
日本の分岐となった「日独伊三国軍事同盟」が結ばれました。
第2次世界大戦におけるドイツの快進撃に便乗したい
という思いと、
ドイツに英国の東南アジア植民地をとられては困る
(同盟を結べば干渉を避けられるだろう)
という思いが国策を誤らせました。
「三国同盟を結べばアメリカは手出しして来ないだろう」とタカをくくった松岡の責任も大きいですが、松岡1人に責任を押し付けるのは若干かわいそうでしょうか。
以下、「日独伊三国軍事同盟推進派」で打線を組んだ。

1遊 大島浩(駐独日本大使)
2二 白鳥敏夫(駐伊日本大使)
3三 リッベンドロップ(ドイツ外務大臣)
4中 A.ヒトラー(ドイツ総統)
5一 W.カナリス(ドイツ国防軍情報部部長)
6捕 近衛文麿(同盟締結時の首相)
7左 板垣征四郎(陸相)
8右 イタリア
9投 松岡洋右(同盟締結時の外相)
1遊 大島浩 275. 4HR
1886年、岐阜県恵那市生まれ。
付いたあだ名は「駐独ドイツ大使」。
ナチス・ドイツに心酔しており、日本をかきまわしました。
なんせ一外交官でありながら、本国の意図とは全く異なる見解をドイツ側に示す有様です。
あまりにひどいので、天皇は「本国からの訓令を実行しない場合は本国へ召喚する」と告げたほどです。
その振る舞いは「ドイツ人よりドイツ人らしい」と言われるほどだったそうです。
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2二 白鳥敏夫 266. 3HR
1887年、千葉県生まれ。
条約締結に向けて大島とともに本国をかきまわし、同じく天皇から、「本国召喚するぞ」と注意を受けました。
おまけに「天皇が平和主義者なのはそそのかされているからだ」といった不敬な発言も。
昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなったのは白鳥が合祀されてから、とも言われます。
躁病の気もありました。
勇ましい言葉は時に魅力的に映るのか、若手外務官僚からは支持を得ていたようですが、こうした熱気は時に誤った方向へ導いてしまうようです。
3三 リッベンドロップ 294. 27HR
1893年、ドイツ生まれ。
すべては1938年2月、リッベンドロップの外相就任から始まりました。
日独は1936年11月25日に「日独防共協定」を結んでおりましたが、リッベンドロップはこれを軍事同盟に発展しようと大島浩に打診。
それまでドイツは日中戦争において中国を支援しておりましたが、満州国を承認し、中国への武器などの提供を禁止するなどして「親日」をアピールしました。
4中 A.ヒトラー 240.25HR
1889年、オーストリア生まれ。
所詮、ヒトラーは日本をイギリスの足止めのための「道具」としか思っていませんでした。
「我が闘争」を原本で読んだ井上成美(海軍)は「日本人は想像力の欠如した劣等民族、ただしドイツの手先として使うなら小器用・小利口で役に立つ存在」と書かれている箇所に注目して、同盟に懐疑的でした。
弁舌の凄さは言うまでもありませんが、軍の指揮官としてはイマイチという評も。
5一 W.カナリス 390. 35HR
1887年、ドイツ(プロイセン王国)生まれ。
この男、結構すごいです。
ドイツの「インテリジェンス・オフィサー」のトップといいましょうか。
数々の工作に加えて、日独伊三国同盟を主導しましたが、その後はヒトラーに懐疑的な考えを抱き、ヒトラー暗殺も計画。【コチラも:wiki】
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6捕 近衛文麿 220. 10HR
1891年、東京生まれ。
日独伊三国同盟の第1回交渉時は英仏を敵とするか閣内で紛糾したため、それをまとめることができないとして総辞職しました。
第2回交渉時も首相として臨みましたが、今度はドイツの快進撃を目の当たりにして積極的に同盟締結を推進します。
結果的にこれが間違いだったわけですが、首相であるならもう少し大局観が欲しかったところです。
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7左 板垣征四郎 300. 33HR
1885年、岩手県生まれ。
「陸軍悪玉論者」は三国同盟を「やたらと結ぼうとしたがる陸軍」vs「どうにかして回避しようとする海軍(特に山本五十六)」という見方をされます。
しかし海軍若手はドイツに親しみを覚える者が多数いまして、「海軍=反独」とも限りませんでした。
また、陸軍が主導したと思われがちですが、三国同盟を推進したのは近衛内閣と外務省です。
(具体的には初期:大島、白鳥、後期:松岡。大島と松岡は意見が異なり、後期は松岡の独壇場)
8右 イタリア 200. 0HR
国名だけで何のこっちゃ?と思うかも知れませんが、これで良いのです。
世界史の勉強をしていた時、
「第1次世界大戦にしても、第2次世界大戦にしてもイタリアはほとんど役に立っていない(すぐに降伏してしまう)ので、除外して考えて良い」
ということを書かれていた人がいました。
実際、イタリアを無視して勉強しても、ほとんど支障はありませんでした。
ですので、少年野球における「ライパチ君(8番ライト)」の位置にイタリアを配置。
結局、日本とイタリアとの連携らしい連携はゼロでした。
9投 松岡洋右 300. 0HR 10勝15敗 防6.50
1880年、山口県生まれ。
第2次近衛内閣で外務大臣に就任。
意気込んで日独伊三国同盟を締結し、勢い的にはソ連も加えた四国同盟・・・と思っていたようですが、独ソ戦勃発。
コチラも。
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【年表】日独防共協定(1936.11.25)~日独伊三国軍事同盟(1940.9.27)
1936.11.25 | 日独防共協定 |
1937.7.7 | 日中戦争勃発 |
1937.10 | ルーズベルト大統領「隔離演説」(日独伊を非難) |
1937.11 | 日独防共協定にイタリアが加わる |
1938.1.16 | トラウトマン工作終了、第1次近衛声明 |
1938.2.4 | リッベンドロップ、外相就任 |
1938.7 | 防共協定強化交渉第1次交渉が本格化 (※ソ連以外に英仏を攻撃対象に加えるかが焦点) |
1939.1.5 | 第1次近衛内閣辞職、平沼内閣成立 (※有田外相、米内海相留任) |
1939.1 | 日本、海南島作戦 (南方進出の足掛かり) |
1939.5 | ドイツから非公表文書も含めたガウス案が出される |
1939.6 | 天津事件(イギリス租界封鎖) |
1939.7.26 | 日米通商航海条約破棄 |
1939.8.23 | 独ソ不可侵条約 |
1939.8.30 | 平沼騏一郎内閣総辞職、阿部信行内閣へ (※有田外相→阿部首相兼任→野村吉三郎外相) (※米内海相→吉田善吾海相) |
1939.9.1 | ドイツ、ポーランド侵攻、第2次世界大戦勃発 |
1939.12 | 「対外施策方針要綱」 ※東亜新秩序建設に南方が不可欠であるとの考えが出現 (元々は日・満・支であった) |
1940.1.16 | 阿部信行内閣総辞職、米内光政内閣へ (※野村外相→有田外相、吉田海相留任) |
1940.2.2 | 斉藤隆夫「反軍演説」 |
1940.3.7 | 斉藤隆夫の議員除名をめぐって各党が分裂 |
1940.4 | ドイツ、デンマーク、ノルウェー侵攻 |
1940.5 | ドイツ、オランダ、ベルギー制圧 |
1940.6 | ドイツにフランス降伏 |
1940.7.22 | 米内内閣総辞職、第2次近衛内閣誕生【新体制始動】 松岡洋右、外相就任 吉田海相→及川海相(9.5~) |
1940.7 | 防共協定強化交渉第2次交渉開始 ※現在の交戦国以外の他国(アメリカを想定)から攻撃された場合の自動参戦が焦点に |
1940.9.19 | 御前会議 |
1940.9.22 | 日本、北部仏印進駐 |
1940.9.27 | 日独伊三国軍事同盟 ※蘭印と物資輸入交渉を行なっていたが、これにより蘭印は物資がドイツに流れることを懸念して暗礁に |