~只今、全面改訂中~

こんにちは。

幕末の英傑たちで「打線」を組んでみました

正直、幕末って

「ペリーが来て、今の幕府じゃあかんぜよ、ってなって、いろいろあったけど比較的平和裏に大政奉還して明治新政府、四民平等、富国強兵」

って思っていましたが、とんでもない。

「志士」=「開明派」でもなく、「幕府」=「守旧派」でもありません。

結局、井伊直弼が選んだ「開国和親」の道へたどり着くまでにいくつもの不要な命が失われたのですが、

それだけに「幕末史」こそ日本人が学ぶべき最重要科目と本気で思います

以下、若干、マニアックなのと、判官贔屓はご容赦を。

1三 来島又兵衛(長州藩) 270. 32HR
2二 小松帯刀(薩摩藩) 315. 20HR
3一 大村益次郎(長州藩)380. 32HR
4指 オールコック(大英帝国)375. 40HR
5右 高杉晋作(長州藩)300. 36HR
6左 今井信郎(京都見廻組) 370. 35HR
7中 酒井玄蕃(庄内藩) 333. 16HR
8捕 岩倉具視(公家) 275. 27HR
9遊 鍋島閑叟(佐賀藩) 266. 14HR
先発 立身尚文(桑名藩) 18勝0敗 1.23
中継 東郷平八郎(薩摩藩) 12勝3敗 1.00
抑え 児玉源太郎(長州藩) 10勝0敗40S 0.85

1三 来島又兵衛(長州藩)

2018年の「西郷どん」では長州力がこの役を。まさに適任!

(想像図)

すごいところ、そして見習うべきところは「48歳にして若者よりも血気盛ん」なところ。

禁門の変では慎重論を唱える高杉晋作を面罵し、久坂玄瑞を半ば引きずるように連れて行きました

そして、

御所への発砲に尻込みする久坂に「臆病者は東寺の塔か天王山でも見物しておれ」と罵倒

「ちょいワル」どころではありません。

のちに警視総監となる川路利良による狙撃がもとで命を落としましたが、トップバッターに据えることで打線にとんでもないパワーを与えてくれるでしょう。

ちなみに幕末史と現代を年齢を比較すると現代×0.7くらいが妥当であるという意見があり、現代で言えば70歳くらいに相当するイメージです。

コチラも

2二 小松帯刀(薩摩藩)

西郷と大久保の功績になってしまっているものは、実はこの人の功績であったりもします。

(そもそも、西郷と大久保の上司にあたります。)

また、坂本龍馬が薩長を結びつけた、みたいに言われますが、

小松帯刀が島津久光に妥協点を見出そうと奮闘したことこそ重要という指摘もあります。

35歳で早世したのが残念です。

wikipediaより

そんな抜群の調整能力を誇る小松帯刀は2番セカンド。

これによりチームの安定化をはかります。

チーム内にいる旧幕府方との調整も彼がいれば大丈夫でしょう。

ちなみに、

日本初の「新婚旅行」を行ったのは坂本龍馬ではなく彼

3一 勝海舟→水野忠徳(幕臣)→大村益次郎(長州藩)

3番は、当初、勝海舟を考えていました。

しかし、ちょっと長く生き過ぎたせいか、「ホラが多い」。

そこで、勝のライバルである「小栗忠順」にしようと思いましたが、

個人的な好みで屏風水野こと水野忠徳を選択。

水野忠徳は数々の折衝の場において、屏風の裏から交渉者にアイデアを授けていたことから「屏風水野」というあだ名がついていました。

(「コバング流出事件」での対応、「卒兵入京」のアイデアなど。「幕末の三俊」といえば、水野、小栗、岩瀬。)

また、あまり知られていませんが、小笠原諸島が日本の領有となったのも彼のおかげです

…と思ったのですが、やはりインパクトに欠けるという点で、最終的に抜擢したのが、大村益次郎

この人、ちょっと無敵すぎるんですよね…。

(第2次長州征討、彰義隊の戦いなど…)

戊辰戦争のさなかに、西郷隆盛が新政府軍と戦うことまで予言する、異次元っぷり。

よほどの天才です。

おでこが特徴。元医者ですが、医者には向いていなかった。

4指 オールコック(大英帝国)

アロー戦争を指導したのも彼です。

wikipediaより写真引用

4番打者は日本人!みたいなことを言っている人は是非、世界史を勉強して欲しいですね。

候補はペリー、ハリス(米)、プチャーチン、ムラヴィヨフ(露)、パークス、グラバー(英)、ロッシュ(仏)などがいましたが、個人的な好みもあり、オールコックを選ばせてもらいました。

何が良いかといいますと、ロシア領事ゴシケーヴィチに対抗して、外国人としてはじめて富士山登頂してしまうようなところ。

負けず嫌いにも程がある、というか。

また、長崎から江戸まで国内旅行を敢行して、それらを「大君の都」って本にしています。

当時SNSがあれば、かなり「いいね!」をもらえてご満悦だったはず

もちろん、幕府がちらつかせた横浜鎖港に対しては、下関戦争を引き起こして様子を伺うなど、武闘派の面も持ち合わせております。

コチラも