~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

正直、幕末って「ペリーが来て、今の幕府じゃあかんぜよ、ってなって、いろいろあったけど比較的平和裏に大政奉還して明治新政府、四民平等、富国強兵」くらいにしか思っていなかったが、とんでもない。「志士」=「開明派」でも「幕府」=「守旧派」でもない。

「幕末史」は日本人が学ぶべき最重要科目と本気で思う。若干、判官贔屓もあるのはご容赦を。

目次を開くとオーダーが一覧

三 来島又兵衛(長州藩)

2018年の「西郷どん」では長州力がこの役を。まさに適任!


wikipediaより写真引用

すごいのは48歳にして若者よりも血気盛んなところ。禁門の変では慎重論を唱える高杉晋作を面罵し、久坂玄瑞を半ば引きずるように連れて行く。「ちょいワル」どころではない。

御所への発砲に尻込みする久坂に「臆病者は東寺の塔か天王山でも見物しておれ」と罵倒

のちに警視総監となる川路利良による狙撃がもとで命を落とすが、トップバッターに据えることで打線にとんでもないパワーを与えてくれる。

ちなみに幕末史と現代を年齢を比較すると現代×0.7くらいが妥当であるという意見があり、現代で言えば70歳くらいに相当するイメージ。

コチラも

ニ 小松帯刀(薩摩藩)

西郷と大久保の功績になってしまっているものは、実はこの人の功績であったりもする。35歳で早世したのが残念。

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抜群の調整能力を誇るので、イメージ的にも2番セカンド。

日本初の「新婚旅行」を行ったとされるのは坂本龍馬ではなく彼である

彼が薩摩藩をうまくまとめ、大久保利通が島津久光を抑えていたからこそ、西郷隆盛も動きやすかった。

一 勝海舟→水野忠徳(幕臣)

当初は勝海舟であった。しかし、ちょっと長く生き過ぎたせいか、「ホラが多い」。

というわけで、勝のライバルである小栗忠順にしようかも迷ったが、個人的な好みで

「屏風水野」

こと水野忠徳に。

コバング流出事件での対応、「卒兵入京」のアイデアなど、抜群の能力である。(その割に知名度が低いが、「幕末の三俊」といえば、水野、小栗、岩瀬。「四俊」となると+川路。)

あまり知られていないが、小笠原諸島が日本の領有となったのも彼のおかげ。

指 オールコック(大英帝国)

アロー戦争を指導したのも彼。

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4番打者は日本人!みたいなことを言っている人は是非、世界史を勉強して欲しい。

ペリー、ハリス(米)、プチャーチン、ムラヴィヨフ(露)、パークス、グラバー(英)、ロッシュ(仏)、シーボルト(蘭)と名だたる外国人をおさえてオールコックを選ばせてもらった。

面白いのは、ロシア領事ゴシケーヴィチに対抗して、外国人としてはじめて富士山登頂しているところと、長崎から江戸まで国内旅行を敢行して、それらを「大君の都」って本にしているところ。

当時SNSがあれば、かなり「いいね!」をもらえてご満悦だったはずだ。

コチラも

右 高杉晋作(長州藩)

「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」、はあまりに有名。


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戦争中に「酒樽」を最前線に送り込んだりといった数々の自由すぎる行動は、「破天荒」とかいう次元を軽く超越している。

アーネスト・サトウに「ルシファー(悪魔)が舞い降りた」と言わしめた下関戦争の講和条約の際の

「古事記暗唱」

はすごい。それに、たった1人で始めた功山寺決起で勝利し藩論をひっくり返した、ここぞの勝負強さは見事。

3番、4番が凡退しても彼が5番にいれば大丈夫。早逝のカリスマ。

左 今井信郎(京都見廻組)

龍馬暗殺は彼?(反論多数。)

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By 江戸村のとくぞう – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76354575

秘技「片手打ち」

は面をかぶった相手の頭蓋骨を割って死なせてしまったことがあってから禁じ手としていた。近藤勇がなりたくたもなれなかった講武所師範代に入門わずか3年、21歳にしてなる。

こうした伝説と本人の証言から、ほんの2、3分の間に剣豪でもあった坂本龍馬、中岡慎太郎を死に至らしめることができたのは彼しかいないんじゃないか、という説があるが、真相はいかに。

中 酒井玄蕃(庄内藩主)

鬼玄蕃。

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無敗のまま戊辰戦争を終える。

圧倒的な軍備力を持って勝つのは当然として、東北戊辰戦争のような圧倒的不利の状況で勝利を重ねることができてこそ、名将であろう。

捕 岩倉具視(公家)

どう見ても怖い。

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相手捕手にいたら絶対嫌。

500円札があった頃、子供ながら「なんだ、この悪人面は(失礼)!」と思った。

征韓論に際しては維新の英雄である西郷隆盛に皆が押される中、全くたじろぐことなし。「ニセの密勅」、「ニセの錦の御旗」などはいいとして、「孝明天皇暗殺」説はマジだろうか・・・。

くぐり抜けた修羅場の数は数知れず。肝の座り方が半端でない。

遊 鍋島閑叟(佐賀藩主)

日本はワクチン後進国というが。

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守備の要として最適任。ペリー来航1か月後にロシア海軍プチャーチンが長崎に訪れたが、その時の鍋島家による防備に驚き、恫喝外交はやめたと言う。なんでもその防備をペリー来航3年前に幕府の力を借りずに行っている先見性がすごい。

アームストロング砲はじめ、最新鋭の武器を要した抜群の軍備力とともに、長年培ってきた官僚機構を有す佐賀藩が薩長側についたことが薩長にとって非常に大きかった。【コチラも

天然痘ワクチンを自前で輸入したことでも知られる。

【先発】立見尚文(桑名藩)

山縣有朋も恐れる。

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戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争と不敗。束の間ながら宇都宮で土方歳三とともに戦った。歴史作家、歴史学者からの人気が高く、一般的な知名度は低いものの

日本史史上歴代最強指揮官

という評も。多少の判官贔屓もあるが、彼をエースにさせてもらった。

【中継】東郷平八郎(薩摩藩)

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彼の功績を挙げればきりがない。主に活躍したのは日清日露だから、幕末史という括りでチームに入れてしまうのは反則だろう!!と諸外国からクレームが来るかもしれないが、歴史は連綿と続いているものなのだと、主張して乗り切りたい。日清日露の活躍はいわんや、

アメリカから一時期ハワイ併合を守った

ことなども忘れまじ。

【抑え】児玉源太郎(長州藩)

台湾総督時代も優秀。

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のちの日露戦争の英雄。

「コダマがいる限り日本は負けないだろう」

とメッケル(独)に言わしめる。日露戦争直前に参謀次長が急死したことを受けて、内務大臣・台湾総督から参謀次長に自ら申し出る。これは降格にあたるがそれが国家の危機に際してそれを実現できるところがすごさである。現代の政治家も見習ってほしい。ストッパーも快く引き受けてくれるであろう。

1868年時点で立見23歳、東郷20歳、児玉16歳であるが、思い切ってこの若い3人にマウンドを託したい。

【追記】東郷の後が、児玉、というのもポイントである。東郷平八郎は英雄に違いないが、あまり引き延ばしすぎると老害も目立つようになってしまうタイプである。(「精神主義」など。【コチラ】)