~只今、全面改訂中~

5右 高杉晋作(長州藩)

辞世の句、「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」はあまりに有名。


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戦争中に「酒樽」を最前線に送り込んだりといった数々の自由すぎる行動は、「破天荒」とかいう次元を軽く超越していまし。

アーネスト・サトウをして「ルシファー(悪魔)が舞い降りた」と言わしめた下関戦争の講和条約の際の

「古事記暗唱」

はすごかったことでしょう。

それに、たった1人で始めた功山寺決起で勝利し藩論をひっくり返した、ここぞの勝負強さは見事。

3番、4番が凡退しても彼が5番にいれば大丈夫。早逝のカリスマ。

6左 今井信郎(京都見廻組)

龍馬暗殺は彼?

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秘技「片手打ち」

は面をかぶった相手の頭蓋骨を割って死なせてしまったことがあってから禁じ手としていました。

近藤勇がなれなかった「講武所師範代」に入門わずか3年、21歳にして就任しました。

こうした伝説と本人の証言から、ほんの2、3分の間に剣豪でもあった坂本龍馬、中岡慎太郎を死に至らしめることができたのは彼しかいないんじゃないか、と言われております。

もちろん坂本龍馬暗殺犯は複数の説があるのですが、真相はいかに。

6番打者として圧倒的強さを見せて欲しいと思います。

7中 酒井玄蕃(庄内藩主)

「鬼玄蕃」と呼ばれる。

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無敗のまま戊辰戦争を終える

圧倒的な軍備力を持って勝つのは当然として、東北戊辰戦争のような圧倒的不利の状況で勝利を重ねることができてこそ、名将でしょう。

下位打線に彼がいたら恐ろしい。

というわけで7番。

8捕 岩倉具視(公家)

どう見ても怖い。

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相手捕手にいたら絶対嫌

500円札があった頃、子供ながら「なんだ、この悪人面は(失礼)!」と思いました。

征韓論では西郷隆盛に皆が押される中、全くたじろぐことなし。

肝の座り方が半端でありません。

下級公家のくせになんでこんなに出世できたのかは改めて考察する必要がありますな。

「ニセの密勅」、「ニセの錦の御旗」に加え、「孝明天皇暗殺」説も出るほど。

やっぱり人相のせいでしょうか。

9遊 鍋島閑叟(佐賀藩主)

日本はワクチン後進国といいますが、佐賀県民の人はどう思っているのでしょうか。

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ペリー来航1か月後にロシア海軍プチャーチンが長崎に訪れましたが、その時の鍋島家による防備に驚き、恫喝外交はやめたと言います。

なんでもその防備をペリー来航3年前に幕府の力を借りずに行っている先見性がすごいですね。

アームストロング砲はじめ、最新鋭の武器を要した抜群の軍備力とともに、長年培ってきた官僚機構を有す佐賀藩が薩長側についたことが薩長にとって非常に大きかったです。

また、

天然痘ワクチンを自前で輸入したことでも知られる

その先見性から彼を守備の要に据えることで、ヒット性の当たりも正面に。

コチラも

【先発】立見尚文(桑名藩)

山縣有朋も恐れる。

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戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争と不敗。束の間ながら宇都宮で土方歳三とともに戦った。歴史作家、歴史学者からの人気が高く、一般的な知名度は低いものの

日本史史上歴代最強指揮官

という評も。多少の判官贔屓もあるが、彼をエースにさせてもらいました。

【中継】東郷平八郎(薩摩藩)

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彼の功績を挙げればきりがない。主に活躍したのは日清日露だから、幕末史という括りでチームに入れてしまうのは反則だろう!!と諸外国からクレームが来るかもしれませんが、歴史は連綿と続いているものなのだと、主張して乗り切りたい。

日清日露の活躍はいわんや、

アメリカから一時期ハワイ併合を守った

ことなども忘れまじ。

【抑え】児玉源太郎(長州藩)

台湾総督時代も優秀。

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のちの日露戦争の英雄。

「コダマがいる限り日本は負けないだろう」

とメッケル(独)に言わしめます。

日露戦争直前に参謀次長が急死したことを受けて、内務大臣・台湾総督から参謀次長に自ら申し出ます。

これは降格にあたるがそれが国家の危機に際してそれを実現できるところがすごさであります。

ストッパーも快く引き受けてくれるでしょう。

1868年時点で立見23歳、東郷20歳、児玉16歳ですが、思い切ってこの若い3人にマウンドを託したい。

【追記】東郷の後が、児玉、というのもミソ。早めに継投しないと東郷平八郎は老害となってしまうタイプである。

コチラ