~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

東郷平八郎が日露戦争における英雄であることには変わりない。しかし、功労者だけにその精神論的主張が、本来、合理的であった海軍の性質に変化を与えた可能性もある。

一方、加藤友三郎は大正の海軍の代表的人物。自らが「八八艦隊」を推進しながらも、より大きな国益のために軍縮を成功させるなど、非常に高度な政治判断のできる人物として評価される。

【試験に役立ちそうなポイント】

★加藤友三郎は海相時代にワシントン軍縮会議(1921年~1922年)に首席として参加し、欧米からの信頼を得ていた。その後(1922年)、高橋是清内閣総辞職に伴い、第21代内閣総理大臣に就任(1922年)。泥沼に突入していたシベリア撤兵を実現するなど手腕を発揮する。しかし、残念ながら首相任期中に病死。日本は大事なリーダーを1人失った(1923年)。そして、その8日後に関東大震災である。(ちなみにこの時は第2次山本権兵衛内閣)

★日露戦争における司令長官は東郷平八郎。しかし、日本史的にはあんまり試験には出ない。ちなみに加藤友三郎は参謀長官として活躍。(参謀が秋山真之。)

【東郷平八郎】

写真はwikipediaより。

略年表

1848 薩摩藩士の家に生まれる。
1863 薩英戦争で初陣。

幕末の英傑で打線を組んだ
1868 戊辰戦争。
1869 宮古湾海戦。(函館)
1871 海軍士官としてイギリス留学。(~1878)
1893 ハワイ王国におけるアメリカの軍事クーデターに対しての威嚇。(※1)
1894 日清戦争。停船の警告に応じないイギリスの商船「高陞号」を撃沈する(高陞号撃沈事件)。実際は清のもの。その後の海戦でも活躍。(※2)
1904 連合艦隊司令長官として日露戦争。(※3)

日露戦争でのカッコよさはコチラ
1930 軍縮に反対姿勢。(※4)
1934 死去。86歳。各地に東郷神社が。神格化される。(※5)

(※1)最終的に1898年にハワイは併合されてしまうが、東郷の行動にハワイ王家、ハワイ住民は感謝。

(※2)国際法に明るく、冷静沈着であることがのちに連合艦隊司令長官就任につながる。

(※3)日本海海戦の勝利の後に、「百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得る」と言ったが、これは数が足りなくても練度を上げれば勝てるという考え。これが本来合理的であった日本海軍を精神主義的なものに傾けてしまったのではないか。

(※4)この頃は80歳を過ぎていて老害も目立つ。

(※5)本人は神格化されることを嫌がっていた。

【加藤友三郎】

写真はwikipediaより。

略年表

1861 広島藩士の三男として出生。
1884 海軍兵学校卒業(7期)。
1888 海大甲号学生。
1894 日清戦争。巡洋艦「吉野」の砲術長として大活躍。
1904 日露戦争。連合艦隊参謀長として東郷を助ける。
1915 第2次大隈内閣で海相に。以後、寺内、原、高橋内閣でも留任。
1921 ワシントン軍縮会議で日本側全権。(※1)
1922 高橋是清の後、内閣総理大臣に。軍縮を推し進める。(※2)

シベリア撤兵も実現。(※3)
1923 大腸がんで死去。62歳。(※4)

(※1)第1次世界大戦後、日本と戦争する可能性があるのはアメリカだけだが、戦費を調達するための日本の外債を引き受ける余力があるのもアメリカだけなので、日米戦争は不可能という考え。また、原敬によるバックアップもあったことが大きい。

(※2)陸軍では山梨半造が「山梨軍縮」を行う。

(※3)麻田雅文先生の「シベリア出兵」参照。最終的な撤兵はもうちょっと後。

(※4)その8日後に関東大震災。大局が見られるリーダーを失う。

当時の有名海軍軍人3人の比較

東郷平八郎加藤友三郎山本権兵衛
出生1848年1861年1852年
死亡1934年1923年1933年
出身地鹿児島県広島県鹿児島県
日清戦争「浪速」艦長
連合艦隊第一遊撃隊司令官 など
巡洋艦「吉野」砲術長海軍大臣副官
日露戦争連合艦隊司令長官連合艦隊参謀長
兼第一艦隊参謀長
海軍大臣
役職第21代内閣総理大臣
第8代海軍大臣など
第16代内閣総理大臣
第22代内閣総理大臣
第5代海軍大臣
第37代外務大臣など
その他あまりに神聖化された?ワシントン海軍軍縮会議全権第1次政権
軍部大臣現役武官制を改正
ジーメンス事件で総辞職
第2次政権
関東大震災
虎の門事件で総辞職

ちなみに、齋藤実(第6代海軍大臣、第30代内閣総理大臣、岩手県出身)が1858年生まれ、岡田啓介(第12代、第16代海軍大臣、第31代内閣総理大臣、福井県出身)が1868年生まれ。齋藤実より加藤友三郎のほうが若かったというのはちょっと意外。

ついでに海軍大臣を調べたくなったら、【こちらのwiki】へ。日清戦争のときは西郷従道、日露戦争のときは山本権兵衛。齋藤実を経て、第1次世界大戦のときは短命ながら八代六郎【wiki:ちょっと面白い】。その後、ワシントン海軍軍縮会議は加藤友三郎で、ロンドン海軍軍縮会議のときは財部彪(3度目の就任)。岡田啓介はロンドン海軍軍縮会議の前、田中義一内閣のときと、五一五で犬養が倒れた後の齋藤内閣のときに海相。

※次章は皇族・伏見宮。1875年生まれということで、東郷元帥とは親子ほどの年齢差ではあるが、しっかり日露戦争にも参戦して負傷までしている。

コチラ:伏見宮編