こんにちは。
麻田雅文先生の「シベリア出兵」(2016年、中公新書)を読み出したのですが、どんどん引き込まれて止まりません。
第2章は「広大なシベリアでの攻防」です。
「ソヴィエト政権」と、「コルチャーク政権」というものが併存していた時期があったことを知って驚きました。
以下、読書メモです。
<第2章:広大なシベリアでの攻防ー1919年>
【1.前線の日本兵たちの戦いー過酷な環境と性病】
日本人の膨らむ野心
★シベリア出兵が順調に見えた1918年夏から翌年まで、多くの日本人がシベリアに野心を抱いた。
※たとえば226事件で青年将校に影響を与えたとして刑死した北一輝(代表作「日本改造法案大綱」)。北は「日本がシベリア東部まで手に入れ、内外モンゴルを中国が守れば日中で連携してロシアから身を守ることができる」と考えた。
凍える兵士たち
★前線の兵士たちは過酷な環境にさらされていた。
※顎も凍って話などできない。野外の睡眠はもちろん、長時間の静止も不可能。井戸水も凍るので水の確保も難しく、パン以外はすべて凍る。
パルチザンとの闘争
★日本の指導者たちは、シベリア出兵はロシア人を助ける人道的な試みと公言するが、多くのロシア人にとって日本軍の到来は災厄に過ぎなかった。
※革命家たちは正面から戦うことを避け、各地に潜伏しながら戦う道を選んだ。彼らをまとめてパルチザンと呼ぶ。シベリアの日本占領地域ではひそかにパルチザンの根拠地の建設が進められた。
田中大隊の全滅
★日本軍がパルチザンを追い詰めようとして逆に罠にかかり、全滅させられたことも。
※応援にかけつけた部隊も包囲殲滅させられるなど。
苦戦の背景
★責任は兵士にない。そもそも第12師団は担当する地域が広すぎて兵力が分散していた。
※一個隊全滅はなかなかないこととであり、日本側に衝撃を与えた。しかし、原内閣はパルチザン討伐の方針を変えず。
イワノフカ村の「討伐」
★田中大隊全滅後、第12師団は名誉回復のため大討伐に。
※しかし、パルチザンと住民を見分けることはできず、住民たちにとっても過酷なものに。ブラゴヴェシチェンスク近郊のイワノフカ村は見せしめに徹底して討伐された。ロシア人の犠牲者数は291名とも。
ゲリラ戦に翻弄される日本軍
★その後も前線ではいたちごっこが続く。
※第12師団長大井成元は所属部隊に行き過ぎを注意するが、どこまで効果があっただろうか。パルチザンは日本軍がシベリア全土に散ったところを狙って兵力をひそかに集中させ施設を破壊。目的を果たすとただちに撤退するので捕捉するのが難しい。
軍規の緩みと売春
★先の見えない戦いの中で兵士たちのモラルは低下。
※シベリア出兵前から「北のからゆきさん」は多かった。そこで東南アジアで規制の入った日本人女性も参入。1時間で40日分の給与だが明日死ぬかもしれないので遊んだ。
広がる性病
★兵士たちの性病罹患率の高さも知られる。
※性病は不名誉だったため申告しなかったものもいたであろう。
【2.反革命コルチャーク政権の樹立】
コルチャークとは何者か
★それまで日本が重視していなかった軍人が突如シベリアを掌握する。
※彼の名はアレクサンドル・コルチャーク海軍中将。2008年には「アドミラル(提督の戦艦)」という映画にもなった。北極海探検で名を馳せ日露戦争にも従軍。二月革命の際に辞任に追い込まれた。イギリスの後ろ盾を得てシベリアの「全ロシア政府」の陸海軍大臣に就任。
【アレクサンドル・コルチャーク】(1873~1920)
ロシア帝国の海軍軍人。1918年11月にシベリアで政権を掌握。一時はモスクワ攻略を夢見たが、赤軍に敗北し、1920年2月に銃殺される。 【コチラも】
(※ソ連の「赤軍」に対して、帝政ロシア時代を支持するコルチャークら「反革命軍」を「白軍」と呼びます。)
コルチャーク政権の樹立
★コルチャークはクーデターにより「全ロシア軍最高執政官」に就任。
※この「全ロシア政府」はもともと寄り合い所帯。11月18日、将校たちの決起に推されて就任すると、12月にはウラル山脈を越えてペルミを陥落させソヴィエト政府を慌てさせた。翌年春には13万人以上に膨れ上がり、兵員も装備も赤軍を上回った。コサックの支持を得て特に騎兵が優れていた。
コルチャーク支持へ傾く日本
★コルチャークを支持するのか傍観するのか日本は決断を迫られる。
※閣議決定案としては、日本にとっては自国に有利な政権ができれば統一政府がコルチャークだろうが誰であろうが良かった。また、第1次世界大戦で余剰資本を得た財界も、新たな投資先としてコルチャーク政権の承認を原敬に望んだ。
孤立したセミョーノフ
★勢いにのるコルチャークにシベリア各地の反革命派もなびいていく。
※ホルヴァートは早々に恭順。ホルヴァートは沿海州、アムール、サハリン、カムチャッカの4州と中東鉄道鉛線を管轄する「極東最高代官」に任命。他方、セミョーノフは対抗。ブリヤート・モンゴルの血をひく彼はモンゴル独立を目指す別組織を打ち立てようとするが、中国との軋轢を避けたい日本はもてあまし、支援打ち切りを明言。ついに1919年6月にコルチャーク政権の第6東シベリア軍団長におさまった。
日本のコルチャーク政権承認
★イギリスなどの連合国武官の協力のもと、3月4日に大攻勢を開始。
※日本もコルチャークの快進撃を目の当たりにしてシベリアに独立政権を樹立する方針へ舵を切る。5月17日、正式承認が閣議決定。
列強のコルチャーク支援
★コルチャークがシベリアを席巻していた頃、パリでは第1次世界大戦の講和会議が開かれていた。
※ウィルソンはソヴィエト、コルチャーク両方が会議に参加できるよう働きかけるが、フランスのピジョン外相はポリシェヴィキのような「犯罪的政権」とはいかなる協定も結ばないとする。「被統治者の同意」を重視するウィルソンはアメリカ国務省からコルチャーク政権承認を求められるが、クーデターで政権を樹立したことに否定的で、承認を先延ばしにしてきた。フランスのクレマンソー首相、日本などの説得でウィルソンもついに承認に。もっとも、彼の足元では軍が急速に崩壊しつつあった。
【3.赤軍の反撃ーレーニンによる処刑指示】
失政
★コルチャークのつまずきは、内政の不手際にあった。
※生産活動低下による財政混乱。物価は数倍に上昇。(♨コルチャークの責任と言うより内戦下という悪条件だから?)
戒厳令が敷かれ、裁判なしの銃殺は日常茶飯事に。パルチザンに協力的とみられた村を焼くなどの行為もあり、徴兵と合わせて住民の反感を買う。
大井司令官の内政改革案
★大井司令官は反革命軍に軍需品含めた物資を与えることを提案。
※これにより民衆の支持を得て、民衆をパルチザンから日本軍へひきつけようとした。
★しかし、肝心のコルチャークが内政には無関心であった。
※「私は赤軍を殲滅させると言う目標を掲げてきた。改革には関心がない。」
★統治の要に民心があり、民心の安定こそが軍事的な成功の下地となるのをついにコルチャークは理解しなかった。
反撃に転じた赤軍
★さらに赤軍の必死の反撃がコルチャークを追い込む。
※わずか2万4000人のウファ戦線に徴兵により1か月後には34万の兵士が集められることに。残された家族へは食糧を与えることが条件。6月9日、奇襲攻撃でウファを奪回。
止まった生命線
★ウファ失陥を境にコルチャーク軍は東へ後退。
※赤軍はコルチャーク軍を追って拠点を奪取するたびに寝返った兵士や多くの戦利品で強化され、コルチャーク軍は反対に弱体。またコルチャーク軍に物資を供給するシベリア鉄道は赤軍に追われて西から逃れてくる難民とポリシェヴィキが指導した鉄道員のストライキでほとんど動かなくなってしまう。
満蒙を守りたい参謀本部と陸相
★コルチャーク軍は日本に援軍要請をした。
※しかし、閣議決定でバイカル湖より東に行動範囲を限るとの理由で拒否。その後も戦況は悪化。参謀本部は焦り、なんとか派兵したい意思を出すが、高橋是清財相は真っ向から反対し、田中義一と激論。その後も田中は帝国の任務、日本の自衛のための派兵を主張するが伊藤巳代治にはかえってそれは別問題と論破される。
田中陸相をなだめる原首相
★満州には必要であれば兵を送ることを挙げて田中陸相を説得。
※シベリア派兵で犠牲が出れば国民の支持も得られない。しかし、これにより翌年、各国が撤退しても日本軍が増派するという「ちぐはぐ」な対応の伏線となる。
イルクーツクへの派兵
★12月24日、イルクーツクで守備隊の反乱が起き、居留民保護のため出兵。
※1月1日、到着。「バイカル湖より西には出兵しない」と言う原内閣の方針は破られた。
コルチャークの処刑
★日本軍がイルクーツクに着く頃にはコルチャークの命運は尽きようとしていた。
※しかし本庄支隊は中立を命じられているので動けない。1月15日にはコルチャーク護衛のチェコ軍団が裏切り、コルチャークは革命政権に引き渡された。のち銃殺。
【年表】<1919年>
- 1・18 パリで講和会議が開幕
- 2・10 シベリア鉄道、中東鉄道の管理について日米が協定
- 3・2 モスクワにてコミンテルン創立大会
- 3・4 コルチャーク、西へ向けて大攻勢開始
- 3・22 アムール州イワノフカ村の焼き討ち
- 4・12 外務省、モンゴル独立運動に関与せずの声明
- 5・17 日本、コルチャーク政権を承認
- 6・9 赤軍がコルチャーク軍からウファを奪回
- 7・22 コルチャーク政権の二個師団派遣要請を日本が拒否
- 11・11 コルチャーク政権がイルクーツクに移転
【年表】<1920年1月~2月>
- 1・1 本庄支隊がイルクーツクに到着(日本軍の西進の限界)
- 1・5 イルクーツクでコルチャーク政権が崩壊
- 1・8 アメリカのグレイブス司令官、シベリアからの撤退を通告
- 1・13 日本軍を「東部シベリア」へ追加派兵の閣議決定
- 2・7 コルチャークが処刑される
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