- 2022/06/20
- 2022/07/03
☞【鎌倉後期⑧:1277-8年】『両統迭立の前触れ…』
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑦:1277-8年」です。 この頃、皇位をめぐる持明院統と大覚寺統の争いが激しくなります。 幕府の内諾がカギとなりました。 建治3年(1277年)年表 元とパガン朝(ビルマ)の戦争開始 ※南宋征服後、さらなる領土拡 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑦:1277-8年」です。 この頃、皇位をめぐる持明院統と大覚寺統の争いが激しくなります。 幕府の内諾がカギとなりました。 建治3年(1277年)年表 元とパガン朝(ビルマ)の戦争開始 ※南宋征服後、さらなる領土拡 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑥:1276年」です。 「幻の高麗出征」が建議されました。 建治2年(1276年)年表 1 南宋、臨安陥落(※1) ※モンゴルのバヤン将軍により臨安占領。(事実上の南宋滅亡)※陸秀夫らは幼い親王を連れて南に逃げる。 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑤:1275年」です。 元の撤退後、幕府は次の襲来に備えます。 文永12年/建治元年(1275年)年表 2 「蒙古警固結番」 ※「異国警固番役」強化。九州の御家人を4班に分けて交代で警固に当たらせる辞令。 4/15 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑤:1274年」です。 モンゴル軍、1回目の来襲があった年です。 文永11年(1274年)年表 1/26 後宇多天皇即位(第91代) ※当時8歳。父・亀山上皇(第90代)の院政期。※後深草上皇(第89代、亀山上皇の […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期④:1272-3年」です。 日蓮は法華経を信じなければ「内乱」と「侵略」が起きると予言しました。 その「内乱」にあたるのが、1272年に起きた「二月騒動」でしょうか? 「二月騒動」を経て、得宗家(=北条時宗)はより […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期③:1271年」です。 度重なる他宗や幕府への批判により、日蓮上人は斬首刑… となるはずでしたが、奇跡的に斬首取りやめとなり、代わりに佐渡へ配流となりました。 一方、朝廷のもとには三別抄から救援要請、モンゴル帝国か […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期②:1269-70年」です。 フビライは再び使節団を送りました。 今回は前回より威圧的なものです。 朝廷は返書の準備を行いましたが、 北条時宗は返書を行わず、「黙殺」することを決定します。 文永6年(1269年)年 […]