~只今、全面改訂中~

☞【§4.欲しがらずに勝てたのか?ー子供の平均身長が縮んだ】『データで見る太平洋戦争』(高橋昌紀、2017年、毎日新聞出版より)

【第4章 まとめ】

★太平洋戦争突入時はコメも南方で獲得しようと思ったが、現地での農業政策は成功したとは言えなかった。さらに、シーレーンが破壊されたために計画は頓挫。

★戦時体制に突入したため、農業用肥料、漁船までもが後回しにされたために、国内では品不足。そこに重労働と重税、「欲しがりません勝つまでは」という精神労働、隣組の監視が加わる。

★結果として、戦争中に成長期を迎えた人々の身長は現在の平均身長よりも16cm、10年前の人と比べても6cm低かった。欠食児童も多く、空腹を恐れて、体操、遠足などの行事を欠席するものも多かった。

以下、読書メモ。

第4章:欲しがらずに勝てたのか?ー国民生活圧迫、子供の平均身長が縮んだ

1934年生まれは前の世代に比べて6cmも低い!

★戦前と比べて戦後は全世代の平均身長がマイナス。これは日本の近代史上はじめてのことであった。子ども(14歳男子)の背は最大6cm縮んだのだ。

1939年の14歳男児(つまり1925年生まれ)は平均152.1cmであるのに対し、1948年の14歳男児(つまり1934年生まれ)は146.0cmであった。

♨つまり、成長期と太平洋戦争が重なった世代(ここでは1934年生まれの人が対象)は、身長が6cmも違う。

ちなみに現在の14歳の平均身長は約162cm。1934年生まれの人と比べて16cmも違うとは!!)

戦中のカロリーは現代の半分!

★戦争末期の1日のカロリー量は1,300-1,400キロカロリー。これは現代の半分にあたる。

欠食児童も多く、空腹を恐れ、体操、遠足などの行事を欠席するものが多かった。(涙)

★戦前、主食であるコメも海外からの輸入が増えたせいで、国内農業が打撃を受けていた。東北の農村は困窮を深め、餓死、身売り、都市への人口流入などが起きていた。それらを背景に二二六事件などが生じた。

★太平洋戦争突入後はコメを占領地で獲得しようと考えていたが、占領地での農業政策は計画通りにはかず、さらにシーレーンが攻撃され、計画が破綻

国内では軍需優先としたため、農業用肥料は後回し、生産効率は低下。コメはダメなのでイカに期待がかけられたが、ここでも船が軍需優先となり、さらに攻撃も受け、計画破綻。

★物不足でインフレは加速。そして目減りする実質賃金。そこで戦費のための増税。源泉徴収、強制貯蓄も開始。課税と貯蓄が国民総所得額に占める割合は1936年で12%、1944年で61.4%と5倍。

★「一日戦死の日」という、その日の稼ぎを全部貯金することを奨励する日も設けられた。

★配給は開始したが、圧倒的に足りない。そのため仕事に行かずに農家へ買い出しに行くものも多数。闇取引は蔓延。軍人勅諭の「一つ、軍人は忠節を尽すを本分とすべし」というフレーズは、「一つ、庶民は要領をもって本分とすべし」という言葉に置き換えられた。

そのうえ精神的重圧も!

★国民精神総動員運動は日中戦争開始直後より。スポーツ大会、ラジオ体操、徒歩通勤・通学などはその影響。洋画家の東郷青児、陸軍の宇垣一成、林銑十郎は健康法を披露した。日の丸弁当が登場したのもこの1930年代後半。もっとも戦時下ではそれすらぜいたく品となる。

★「隣組」も制度化。

★徴兵拡大により工場、農村では働き手を失う。子ども、女性が生産現場に動員された。

戦時下の国民は重労働に加え、空襲による睡眠不足、「ぜいたくは敵」「欲しがりません勝つまでは」という精神的重圧を受けていた。批判しようものなら隣組が目を光らせている

★東条英機は民家のゴミ箱を調べて規定通りの配給がなされているか確認したという逸話も。(♨コレ、有名な話。それを非難した人も左遷されたとか。このことは美談して伝えられている風もあるが、一国の指導者としてどうかということと、統計学的にも少ないnで判断することの危険性はどうか、など思うところはある。)

【年表はコチラ】

<インタビュー・ドナルド・キーン(日本文学研究者)>

戦後70年、今も続いている国民への忍耐押しつけ

★軍事機密が漏えいする恐れがあるため米軍は日記を禁止していたが、日本軍は違った。部下が愛国的かどうか検閲する目的もあったのだろう。中国における日本の蛮行を聞くにつれて日本はなんて怖い国かと思っていたが、一般の日本人を知ることによって、彼らに同情することとなった。

平安期から日記は日本文学の1つのジャンルとして確立されているが、無名の日本兵たちの残した日記ほど感動的なものは滅多にない

★自決した日本兵も多数いた。「捕虜になることは恥」という教育がされているが、これは軍部が強要した大嘘。日露戦争時にロシアの捕虜になった日本兵は数多い

★杜甫「国破れて山河あり」に、松尾芭蕉は反論している。「山河が崩れて埋まることもあるではないか、それでも残るのは人間の言葉であると。」言論統制がとれたあと、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房らにより日本文学は1つの黄金期を迎えた。

★東日本大震災の後も、国民は理不尽に忍耐を押しつけられはいないだろうか?

【第5章:戦艦大和は無駄遣い?はコチラ】