~2020年、「マンガ日本の歴史」新装版発売開始!!~

☞【近現代史必読書!】『父が子に語る近現代史』(小島毅、2009年)読書メモ③:日露戦争後

読書メモ②の続き。

大正デモクラシーと「常民」の発見

★1912年、明治天皇崩御。この年、美濃部達吉による天皇機関説と政党内閣論。

★1916年、長州閥の軍人・寺内正毅が元老の意を受け組閣し、政党を無視した政治を開始。

★1918年、ロシア革命に内政干渉するためシベリア派兵

★米価は上がり、米騒動で寺内辞職。

★これで、議会多数党であった立憲政友会総裁の原敬が総理大臣に。

★柳田國男は政治家などではなく一般民衆(常民)を調査することで、古来変わらず伝わってきた信仰や慣習を紹介し、近代化によって失われつつある日本人本来の姿を提示した。

★現在では柳田の民俗学は所詮は江戸時代後半以降に過ぎないこと、アジアの諸地域との比較考察なしに安易に日本の独自性と一体性を強調していることなどから批判されてはいるが、

柳田がこの時期に「常民」に注目し、そこから日本と言うものを再考してみようとした姿勢が素晴らしいのである

常民は必ずしも合理的にものごとを考えない。このことがわかっていないと、なぜ軍部が吹き込んだ皇国史観・神国思想を信じて愚かな戦争に突入したかがわからない。

★天皇機関説とは、「天皇」は「日本」と言う国家の1つの「機関」なのであって、恣意的に支配や統治を存在する存在ではないとする説。

これが大正から昭和初期は政府公認の学説であり、政党政治を支える役割を果たした。

天皇機関説が批判されることで日本の軍国主義化が進んだ

★政党内閣論とは天皇機関説にもとづいて、実際の政治は議会の多数党で行なうとするもの。憲法の規定では総理大臣は天皇が自由に任命できることになっているが、これは形式的なものとなった。

★陸軍の抵抗で西園寺内閣がつぶれ、長州閥の桂太郎内閣になると、衆議院議員の犬養毅らが憲政擁護運動をおこし、桂内閣の打倒に成功。東大教授の吉野作造は民本主義を主張。これは大日本帝国憲法内でも事実上の民主主義が実践可能であることを示した。

★近代以降の宗教の力は過小評価されている。常民の心を動かしていたのは西洋伝来の思想でも吉野作造、美濃部達吉の思想でもなく、新興宗教である。昭和が戦争にいたった責任はふつうの人たちにこそあると考えている。  

「吉野朝」と国家神道

1904年、民間教科書が「南朝正統論」をとったのに対し、「南北朝」を併記した国定教科書(喜田貞吉)は野党により糾弾。

教科書は書き換えられた。明治天皇も正式に南朝を正統と認める。常民にとって南北朝並立というのはわかりにくいので、なぜ吉野朝が偽天皇とその政府に膝を屈することになったのかは教えられることがなかった。

★明治維新の中核メンバーは南朝史観。「国民宗教」とは国家神道。

★明治維新後、天皇を祀った神宮は橿原神宮(神武天皇)、近江神宮(天智天皇)、平安神宮(桓武天皇)、吉野神宮(後醍醐天皇)。

これら明治政府の国策で新たに設けられた神道施設のことを国家神道と呼ぶ。これに地元民は積極的に参加。

★古代皇族である日本武尊、神功皇后、聖徳太子も神格化。歴史的事実ではないことも。

★明治の人々は彼らが日本国創設の功労者として信じていた。(日本武尊はある地域にとっては侵略者であるのだが、それでもその地域で篤く信仰されていたりする。)

「国家神道」は天皇と親族を「神々」として再編成し、臣民の忠誠心を確実なものにしようとした。常民にもそれを受け入れる精神構造が存在した

大正から昭和へ

★ソ連の登場で他国はシベリア出兵。(※【追記】シベリア出兵時にはまだ「ソ連」という国家は成立していない。)

ソ連政府は後方攪乱を狙い、日本にも共産主義勢力を盛りたてる。

★1922年、日本共産党が非合法に組織。

1926年から昭和がはじまるが、いずれの政党も社会問題に適切に対応できず、軍部が期待された

★もともと明治維新は市民革命ではなく、軍人革命である。軍人はエリートを集め、ますます発展。

★彼らは民衆の苦しみを救うべく、「先輩たちができたように」自分たちも良かれと思って海外侵略に向かって突っ走っていった

1920メーデー
1921原敬暗殺。第1次大戦後の不況。
1923皇太子(昭和天皇)暗殺未遂事件
関東大震災。「井戸に毒を入れた」噂で、朝鮮人、中国人虐殺。虐殺する側が常民であったことに注目。
1924官僚に対抗しての憲政擁護運動。加藤高明総理大臣誕生。
1925加藤内閣のもとで普通選挙法、治安維持法(共産主義者をとりしまる)。
1926昭和が始まる
1927金融恐慌
1930世界恐慌(1929~)を受けて日本もダメージ。
1931北日本大凶作。

「一を聞いて十を知り百を忘れる」のが大日本帝国軍部

軍部の台頭を考える

禁門の変ー幕長戦争ー戊辰戦争ー日清戦争ー日露戦争ー日中戦争ー太平洋戦争は一つの直線

★誰かがこの線を描いたからこうなったのではなく、誰もがその線を消すことができなかったために太平洋戦争に突入してしまった

  • 軍縮条約は統帥権干犯と抵抗、1930年浜口雄幸暗殺未遂、1932年犬養毅暗殺。
  • ドイツではナチが台頭。広田弘毅は国策でアジア進出を決め、ナチとは連携。文民出身であったが、軍部に理解を示したがゆえに戦後処刑されることに。
  • 1936年、226事件。事件そのものは失敗だったが、陸軍内部の抗争がこの事件で決着したこともあって、政策決定への影響力は深まった。
  • 1937年、近衛内閣成立。盧溝橋事件で日中戦争に突入。「蒋介石は交渉相手ではない」と宣言(1938年)して自ら講和の道を閉ざし、泥沼の戦争に突入。

戦争の責任を考える

日比谷事件(ポーツマス講和条約後)は常民が常に平和を愛するわけではなく、戦争に酔いしれる場合もあることを示す例である

「自分たちは騙されていた」では済まされない。「防衛戦争」なんて甘い言葉で済むわけでもない。

醒めた目で戦争を批判する人たちは「非国民」扱いされた。

非国民」扱いしたのは常民である

破局、そして再建

★終戦。満州にいた人たちはシベリアに連行され酷使された。

★軍国主義体制解体(財閥解体、農地解放、憲法改正)ののち、1951年サンフランシスコ講和条約で独立回復。学校教育も大きく変貌。終身の授業は道徳に。

1968年

世界史的に重要な年である

★日本:明治維新100周年

★アメリカ:1965年からベトナム戦争。反戦運動盛んに。

★中国:1966年から文化大革命。実際は毛沢東が仕掛けた権力闘争。

★フランス:大規模な学生運動

★東欧:チェコスロバキアで「プラハの春」 。それから40年でさらに変貌。

シルクロードと韓流ー幻影二題

新疆ウイグルでは核実験が行われ、少数民族は弾圧。NHK「シルクロード」(1970年代後半)はそれを一切伝えなかった

★坂の上の雲も韓国に触れず。

★江戸時代後半からの200年来、日本のアジア認識はいろいろ誤ってきたが、今後は東アジアと友好関係を維持発展させていかなくてはならない。

★歴史は科学という人がいるが、文学であろう。絶対的真理を主張する歴史書により圧政を正当化したり、戦争を引き起こしてきた。

複数の歴史が存在する方が多様な世界においては健全。