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☞【なぜルーズベルト政権内はソ連工作員だらけになったのか】『日本は誰と戦ったのか』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「なぜルーズベルト政権内はソ連工作員だらけになったのか」です。

普通に考えるとおかしいのですが、決して対岸の火事でもない話ですよね…

以下、「日本は誰と戦ったのか」第4章「乗っ取られたホワイトハウス」を参考にさせて頂きました。

【原因1】1929年の大恐慌で共産主義者が増えた。

アメリカ共産党設立は1919年と早い方でしたが、1920年代は小規模で、メンバーは東欧からの移民で英語が話せない人がほとんどでした。

しかし、恐慌により資本主義への失望が広がり、知識人などを中心に共産主義に惹かれる人が増えました。

【原因2】スターリンが戦術を転換した。

それまで暴力的手段での共産革命を目指しておりましたが、1930年代は暴力性や共産党であることを隠して平和運動や民主主義運動を偽装するフロント組織を作るように変えました。

同時に、共産党員だけで行うのではなく、使える勢力なら誰とでも手を組むという「人民統一戦線」方式に変更しました。

結果、政府職員になるようなアングロサクソンの良家から多数の共産党員が生まれました。

【原因3】ニューディール政策に共産主義者が集結した。

1933年3月にルーズベルト政権が発足し、「社会主義的政策」でもあるニューディール政策を企図しました。

そのため、ニーディール政策関連の組織が次々に増え、ここを通じて共産主義者たちが政府内に入ることとなりました。

社会主義的政策を行う組織が新規に大量のスタッフを雇ったらその中に大勢の共産主義者や協力者がいたというわけです。

【原因4】ソ連国家を承認した。

ルーズベルト政権は1933年の発足直後にソ連を国家承認しました。

(これまでの大統領はそれを見送り続けていましたが)

これによりソ連は大勢の外交官、大使館スタッフを合法的にアメリカに送ることができるようになりました。

実態は全員スパイと考えて良いくらいですが。

彼らと、以前から活動していた工作員が強力なネットワークを形成します。

日米開戦後はさらに工作員の浸透が進みました。

【開戦後】

1.米ソが同盟国となった。
2.1により共産党員を政府職員として雇用することの禁止法が解けた
3.戦略諜報局(OSS)、戦時生産委員会(WPB)、戦争情報局(OWI)など戦争遂行のために新設された機関が受け皿となった。

政府内に入った共産党員が共産党員を呼び、また共産党員を増やす、といった手法で政府機関に共産主義者が増大していくのです。

(一見、合法的に見えるだけに怖いですね。)

まとめ

☞【ルーズベルト政権内が工作員だらけになった理由】

①1929年の大恐慌で共産主義者が増えた。

②スターリンが「人民統一戦線」方式に戦術を変えたことで良家からも党員が増えた。(→彼らが政府職員となる。)

③ニューディール政策に共産主義者が集結した。

④ソ連国家を承認して合法的に流入した。

その後も共産主義者が共産主義者を呼び、勢力増大。

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