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☞【軍閥たちが群雄割拠!】「袁世凱死後の支那」(『満州建国の真実:§3a』),

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「袁世凱死後の支那」についてです。

「張作霖が北京の覇者になるまで」を書こうと思いましたが、そこに至るまでの分量があまりにも多い(!)、それになかなか張作霖も登場しないので「張作霖中央登場まで(本項)」、「絶頂期」、「没落期」、「」、「その後」の5つに分けることにしました。

この時代、一般的な知名度はとてつもなく低いですが、三国志並みに面白いと思うのは私だけでしょうか。

【年表】袁世凱死去(1916年6月)~安直戦争(1920年7月)

1916.6.6袁世凱死去(※1)
1916.6.7黎元洪が大総統に就任(※2)
【黎元洪体制 with段祺瑞】
1917.5.23黎元洪、国務院総理・段祺瑞を罷免(※3)
1917.6.7張勲の復辟運動(~7.12)(※4)
1917.7.17段祺瑞、北京掌握(※5)
【馮国璋体制 with段祺瑞】
1918.10~馮国璋(直隷派)が段祺瑞(安徽派)・張作霖(奉天派)により失脚(※6)
【馮国璋→徐世昌体制 with段祺瑞】
1920.7.14安直戦争(~7.19)(※7)
【曹錕ら直隷派+張作霖の奉天派がが段祺瑞(安徽派)に勝利】

(※1)袁世凱死去

辛亥革命は、

第一革命:蜂起した革命軍が「中華民国」建国を宣言。これに対して、清は北洋軍閥の袁世凱を登用。袁世凱は溥儀(6歳)を退位させて袁世凱自身が中華民国の大総統となる。

第二革命:圧倒的武力を背景に袁世凱の専横化が進む。議会政治を目指していた国民党の指導者・宋教仁は暗殺される。各省の独立運動も袁世凱により弾圧される。

第三革命:袁世凱は皇帝になろうとするが、華南では「護国戦争」が起き、部下からも反発が起こり実現せず。

という流れでした。

袁世凱は夢破れ、失意のまま死亡しました。

(※2)黎元洪

袁世凱の死後、黎元洪が大総統となります。

後継者ではありませんでしたが、もしも大総統が段祺瑞ら北方の北洋軍閥から選ばれたら南方の革命グループから反発を受けるだろうとのことで選ばれました。

【黎元洪】(れいげんこう:1864~1928)
当初、清国軍として辛亥革命派と戦っていたが、革命派に担がれる形でいつの間にか革命の中心にいた。
軍人として日本にも留学経験あり。

(※3)黎元洪vs段祺瑞

黎元洪政権において、黎元洪が大総統、段祺瑞が国務院総理に就任。

実際の政務は段祺瑞が行なうものであったが、黎元洪は袁世凱のような中央集権を目指して対立。

大総統「府」と国務「院」の争いから「府院の争い」とも言われます。

黎元洪が段祺瑞を罷免することになりました。

【段祺瑞】(だんきずい:1865~1936)
袁世凱のもと、第1辛亥革命では宣統帝(溥儀)に退位を迫り、第2辛亥革命では華南の革命派を鎮圧。しかし、第3革命では袁世凱の皇帝就任に反対。

袁世凱死後、政権内には安徽派(段祺瑞ら)、直隷派(馮国璋ら)と派閥ができる。

直隷派が欧米の借款を得たのに対して、安徽派は日本から借款を得る。(西原借款 1917~)

(※4)張勲の復辟運動

しかし、段祺瑞を罷免したところ、北洋軍閥系の面々が独立宣言し、収拾がつかなくなりました。

(黎元洪は自身の軍隊をもっていません。)

そこで、徐州の有力軍人・張勲を招き入れました。

しかし、この張勲という人物は、「辮髪将軍」とも言われる人で、清朝への忠誠を誓っておりました。

北京へ入ると国会を解散させ、さらにはなんと宣統帝を復位させてしまます(!)。

(ちなみに戊戌の政変で失脚した康有為も呼ばれました。)

【張勲】(ちょうくん:1854~1923)
清朝復活にあくまでもこだわる。
この時期にあって一際異彩を放つ。

(※5)馮国璋体制

困った黎元洪は段祺瑞を再び国務院総理に任命し、張勲を鎮圧させました。

大総統(代理)には直隷派の馮国璋が就任します。

【馮国璋】(ふうこくしょう:1859~1919)
袁世凱の部下で北洋軍閥出身。張勲の復辟運動後に大総統に就任するが、南征を主張する段祺瑞(安徽派)と対立して失脚。段祺瑞は張作霖(奉天派)と組み南征を敢行。

(※6)徐世昌

袁世凱とは幼なじみ。東三省(満州)初代総督もつとめる。安徽派、直隷派の争いにより大総統就任。各派閥の調整を期待された。

【徐世昌】(じょせいしょう:1855~1939)
第4代大総統に就任するが、在任中に五四運動、安直戦争、第1次奉直戦争がおこる。

(※7)安直戦争

結局、段祺瑞の意見が通って南征が行なわれました。

直隷派の曹錕、呉佩孚らも南征に参加し大活躍しましたが、その論功行賞を巡って曹錕、呉佩孚は段祺瑞に不満を持ちました。

そうして、曹錕らは張作霖を味方に引き入れ、安徽派と全面戦争に突入します

張作霖の助力を得た直隷派はわずか5日で勝利します。

【曹錕】(そうこん:1862~1938)
貧しい家の出身であったが袁世凱のもとで軍人として頭角を現す。直隷派であったが段祺瑞の南征に同調。しかし、論功行賞を巡って段祺瑞に反目。馮国璋死去後は直隷派の頭目として、反・段祺瑞となる。

【呉佩孚】(1874~1939)
曹錕の部下。五四運動に賛同し、ヴェルサイユ条約調印にも反対運動を行う。安徽派の段祺瑞に反目し、安直戦争を起こす。

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