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☞【日独防共協定(1936)は世界的ネットワークになるはずだった】『日本人はなぜ戦争へと向かったのか(外交・陸軍編)』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「1936年の日独防共協定」です。

「防共協定」はイギリスも含めて世界的なネットワークにする予定でした。

しかし、所詮は付け焼き刃的な政策で、「外交の一元化」もできない状況…

以下、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか(外交・陸軍編)」の、「1930年代 日本を支配した空気」(井上寿一先生)を参考にさせて頂きます。

【新主流派の面々】

ヴェルサイユ会議に派遣された日本代表団には何人もの俊英の若手外交官がいました。

しかし、日本は五大国の一員として参加しながら世界という舞台で自らのビジョンを示すことができませんでした。

こうした悲哀を胸に刻んだのが彼ら「新主流派」です(↓)。

彼らは上の世代の英米協調主義を「原則がない」「お年寄りの外交」と批判し、軍の言いなりにもならない外交の一元化を目指しました

(軍の言いなりにならない、としながらも軍の連携しなければ外交できないと考える若手は多かったとのこと。)

新主流派生年出身地出身大学
重光葵 1887-1957 大分県豊後大野市 東京帝国大学
有田八郎 1884-1965 新潟県佐渡市 東京帝国大学
吉田茂 1878-1967 東京都千代田区 東京帝国大学
広田弘毅 1878-1948 福岡県那賀郡 東京帝国大学

彼らは軍部とは頻繁に会合を開き、穏健勢力から「満州より先には手を出さない」という言質を引き出しました。

この言質を軸に中国との関係を修復しようと試みます。

【しかし、またしても日本の外交方針は分裂】

しかし、1930年代なかば、またしても日本の外交方針は分裂してしまいます。

政治 二大政党制は過渡期を迎え、求心力を失っていった。
軍部 政府が頼りにならないため、軍部をはじめ各組織は独自の政策、独自の外交(=華北分離工作)を展開し始めた

「華北分離工作」
(1935年5月、現地陸軍が対ソ防衛を理由に国民政府へ中国北部からの退去を要求した)
外務省
(新主流派)
対中関係を修復しようとしていただけに「華北分離工作」は寝耳に水

ただ、「弱い中国」、「日本と協力したがっている中国」というイメージは抱いていた

※ちなみに、戦前の日本陸軍の暗号解読レベルは世界トップクラスでした。

中国の軍事暗号はほとんど解読していまして、国民党首脳陣が塘沽停戦協約(1933年5月)を守るつもりがないことも解読していました【コチラも】

【なぜ対外戦略が一元化できなかったのか?】

「分権制が強かった。そしてその上に立つ天皇は個別の政策の意思決定には責任を問わないことになっていた。何もしないと何も動かない、というのが日本の政治。」

※明治憲法における政府の統治システムは、それぞれが収集した対外情報を枢密院で一元化し、そこで総合的にとりまとめられた判断が、元老という強力な指導者のもと国家方針として実現されていました。

藩閥→元老→政党となるはずでしたが、この役割を担うはずの政党は「腐敗」。

国民の支持もなく、「もしかすると軍部の方が良いかも知れない」と思わせてしまっておりました。

※各国の挙国一致体制

日本以外はどうでしょうか。

当時、イギリスは二大政党制であるにも関わらず、マクドナルド首相による挙国一致内閣成立が成立しておりました。

アメリカは民主党政権でしたが、「ニューディール連合」という形で挙国一致内閣的なものが成立しておりました。

ソ連はそもそも共産党による社会主義国。

ドイツは全権委任法がゴリ押しで採択され、ヒトラーのもとで独裁性が敷かれておりました。

この時期の日本は形式的には斎藤実首相、岡田啓介首相のもと政党、軍部、官僚から大臣を入閣させる「挙国一致内閣」がとられましたが、各派閥の利害の主張が強く、「独裁制」はもちろん、ほんとうの意味での「挙国一致」とは程遠いものでした…

【防共外交という発想が生まれた】

そのような情勢で、重光葵は「華北分離工作」を「日本と中国が共同でソ連に備えるため」と説明してはどうだ?と提案します。

(実際にソ連の脅威に備えるという側面はあった)

有田八郎はさらにこれを「世界的なネットワーク」にしようと試みました。

ドイツだけへの接近を避けるべく、「イギリスにも参加してもらおう」と吉田茂駐英大使が交渉に臨みます。

「うっかり陸軍のいいようなふうにばかり考えていたらとんでもないことになってしまう」
 

安東義良外相秘書官

【防共外交の進展】

しかし、ここでも足並みが乱れます。

結果的に、イギリスの参加は得られませんでした。

陸軍 イギリス参加に反対。
有田八郎 とにかくドイツとイギリスの交渉を同時スタート!
吉田茂 1936年7月30日より交渉開始。

「イギリスは日本と協力して防共にあたるよう中国に説得して欲しい。ゆくゆくはイギリスも加わって欲しい。」

→そのうち、イギリスに中国の共同経済開発を打診するなど本国の意思とは異なる独自の交渉を行う
イギリス
(イーデン外相)
「中国も了解しているのか?1つ間違えれば世界を割るぞ?」

・当時、ソ連とは良好関係
・特定のイデオロギー勢力には参加しない方針

→(吉田と本国の対応が異なることで)
日本側の意図がわからない。まともに相手をする必要はない。」
大島浩 最初からイギリスが防共協定に消極的なことをつかんでいた
(ヒトラー自身はイギリスびいきで、初期から対ソに備えてイギリスの抱きこみを検討していたが断念)
蒋介石 この時すでにソ連とも接近しており、華北分離工作と防共協定交渉を行う日本に不信感を募らせていた。対日穏健派の汪兆銘を失脚させ、中国共産党とは関係改善を模索。
ソ連 中国共産党にも国民党との対日統一戦線の結成を指示していた

元々は孤立を回避しようと行われたのが「防共外交」でした。

しかし、華北の状況を元に戻す、満州を元に戻すという議論は出ません。

こうした点で陸軍も外務省も大差はありませんでした。

また、内部統制できない状態でしたので、かえって他国から日本への信頼は喪失しました。

結果としてドイツとだけ交渉が進み、1936年11月25日、日独防共協定が成立します。

イギリスとも「防共協定」の交渉をしていたとは知らなかった!

【イギリスの現実主義】

本書「変化していた世界帝国主義・遅れた日本の対応」(アントニー・ベスト先生)の項より。

「日本はイギリスなら反共であろうと思っていたが、実際にイギリスが行っていたのは利害得失の打算。もっともかなうことは日本とソ連が相互に敵対し続けることだった。日本とソ連が満州で対峙していれば日本は南部に進出しないし、ソ連もインドに進出しない

【日独防共協定締結後の各国】

ソ連 日本へ怒り。
イギリス 共産主義よりもドイツ嫌い(ドイツに協力した日本も嫌い)であることが表面化。
中国 日中戦争に突入。
アメリカ ルーズヴェルトによる隔離演説で日本とドイツを「疫病」扱い。(1937年10月5日)
日本 欧米との対立が激化した1940年、外相に就任した松岡洋右は事態打開の切り札として、さらにドイツとの結びつきを強める「日独伊三国同盟」を結ぶ…

日本は定まった国家戦略をもたずに、甘い想定のもと、次々に起こる事態への対応に汲々とした。

誰が情報をまとめ、方針を決めるのか不定なまま進み、一度決まったことも覆す。

これでは孤立するのも無理はない。

「日本には、計画的なものは1つもない。それは今でもそうだ。そのときに起こってくる現象に沿っていろんなことをやるだけだ。だから日独同盟を結んで、そして日独同盟の力でアメリカに対抗しなきゃということだが、それが結局裏目に出た」

鈴木貞一(企画院総裁)
ちなみに、当時の日本の共産主義運動は壊滅的な打撃を受けていて転向が相次いでいたし、防共協定といっても実際は情報交換をする程度のものだったんだよなぁ…。
伝統的な外務省の路線でいえば、ドイツとの連携はあり得ないよなぁ。
学問、文化、芸術の影響は受けたけど、第1次世界大戦では敵国だし、中国の蒋介石軍はドイツ式。むしろ仲が悪いくらいじゃねぇか?
アメリカは国内問題で忙殺されている、という考えが、アメリカのことは考えなくても良い、という誤解を生んでいたのも事実。

【日独防共協定:wikipedia】

まとめ

1936年11月25日、日独防共協定が締結される。

陸軍と外務省は「華北分離工作」を「防共外交」に発展させようと考えた。

イギリスも含めた「防共ネットワーク」を作ろうと試みたが失敗。

ドイツとだけ話が進み、気がつけば「疫病扱い」されてしまっていた。

※もっとも、陸軍と外務省以外でドイツとの防共協定に懐疑的な見方をしていた人も多かった。

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