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☞【なぜヤルタ会談はソ連の思い通りになったか】『日本は誰と戦ったのか』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、1945年2月に行われた「ヤルタ会談」についてです。

ヤルタ会談では、国際連合設立計画とともに、大戦後に、どの国がどの地方をどのような政治体制で支配するかなどが決められました。

結果的に、バルト三国、東欧、アジアなど多くの国が「共産主義勢力」となりました。

…これってルーズベルトとチャーチルが会談して決めた1941年の「大西洋憲章」と大幅に内容が違いますよね…

(2005年、ブッシュ大統領が「あれは間違いだった」とラトビアで発言しております。)

なんで、こんなことになってしまったのでしょうか?

以下、「日本は誰と戦ったのか」(江崎道朗、2017年)を参考にさせて頂きました。

【理由1】ルーズベルトがスターリンを善人だと思いこんでいた。

にわかに信じがたいことですが、ルーズベルトは会う前からスターリンは「善人」だと思いこんでおりました。

その理由の1つが

「若い頃、神学校に通っていたから」

という、とんでもないもの。

さらに、これまでの欧米の指導者たちがスターリンとうまく折り合いをつけることができなかったのは、

「彼らに魅力がなかった(自分にはある)」

とも考えていました…

1932年から1933年の大飢饉、1936年から1938年の大粛清の話を聞いても、聞く耳持たず。

そうなってしまった理由が、下記の「健康問題」と「工作」でもあります。

【大飢饉と大粛清】

大飢饉では人工的な飢餓発生により600万人が死亡しました。

農民からあらゆるものを取り上げ、応じないものには拷問を行いました。

「寒気法」(共同農場全員を真っ裸にして寒気にさらす)
「熱気法」(女性共同農場員のスカートのへりに石油をかけて火をつけ、消す、を繰り返す)

こうした拷問はいくらでもあり、「職権濫用」ではなく、「流行」といえた。

大粛清は1年間で70万人近くが処刑されました。

少数民族、敵対階級、農場の集団化に反対したものたちの他にも、政権幹部、スターリンの側近たちもその対象となりました。

139人の中央委員のうち98人、1968人の代議員のうち1108人が粛清されています。

スターリンは猜疑心の塊のような人物でした。

【理由2】ルーズベルトが健康上の理由で職務遂行能力がなくなっていた。

1943年11月のテヘラン会談の頃には健康状態が悪化して、職務に支障が出ていたそうです。

なんせ、1944年3月の時点で、突然口が開いたまま話が中断し、相手を凝視した状態が続いたりしていたというのです。

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1944年夏にルーズベルトに会ったマッカーサーは、

「彼の肉体は魂の抜け落ちた抜け殻にようなものだ。彼はもう長くないだろう。」

と述べております。

一般人が「もう長くない」と思うというのは相当なレベルでしょう。
(実際に翌4月に死去)

うっ血性心不全が進行していたことは確実で、悪性の皮膚癌が脳や消化器に転移していたという説もあるようですね。

非常に納得します。

執務可能時間は1日4時間。

突然意識を失ったりするもので、脳機能も相当怪しい。

一体、ルーズベルトの名前で出される公電や覚書は誰が出していたのか…

考えると恐ろしくなりますね。

なんせ政権内にホワイトハウス含めて数百人のコミンテルン工作員が浸透していたのですから。

【理由3】ルーズベルト政権内が工作員だらけだった。

詳しくはコチラも。

1929年の世界恐慌で人々が資本主義に幻滅したことで共産主義者が増え、

1933年のルーズベルト就任、「ニューディール政策」および「ソ連国家承認」で共産主義者が政権内に浸透。

スターリンが戦術転換して、平和を訴える偽装団体をフロント組織にする戦術も功を奏しました。

【理由4】会談を取り仕切っていたアルジャー・ヒスが工作員だった。

ヤルタ会談に乗り込んだアメリカ外交団主要メンバーは

1)ルーズベルト…体調不良。国連創設で名を残したいためスターリンに擦り寄る。

2)ハリー・ホプキンス…ルーズベルト側近。極端な親ソ派。

3)エドワード・ステティニアス…2ヶ月前に国務長官就任。ホプキンスの子分。お飾り。

でした。

ステティニアスに随行して、実質的にヤルタ会談を取り仕切ったのが、アルジャー・ヒスです。

【アルジャー・ヒス】
1904年生まれ。弁護士出身。国務省職員。それまで無名であったがルーズベルトがヤルタに随行するよう直接指名(それまで2人は一緒に働いたこともなかったが)。ヤルタ会談を取り仕切ったが、実際はソ連工作員だった。【wiki】

【理由5】ルーズベルトが議会を無視した密室外交を行った。

そもそもソ連は対日参戦する大義がありませんでした。

しかし、テヘランで頼まれてもいないのに対日参戦すると言い、ルーズベルトはその見返りにアジア各地の利権を引き渡しました。

(なぜ、そこまで媚びるのか…)

これらは日本はおろか、中国にも一切話されずに決まっております。

また、アメリカ国務省も通しておりませんでした。

北方領土の取り決めなどを行った「ヤルタ密約」が議会の承認を得てもいなかったため、その後、問題となり、1952年3月20日のアメリカ上院議会で批准が拒否されました。

つまり、現在は「正式な両国家の承認がないまま、密約に基づいて不法占拠が続いている」という状態なのです。

【ヤルタ密約】

ドイツ降伏から2,3ヶ月(準備期間)でソ連が対日参戦することと引き換えに、アジアの莫大な領土と権益をソ連に与える、という内容。

・モンゴルの現状維持
・日露戦争でロシアが失った権利回復(樺太など)
・千島列島をソ連に引き渡す

※さらに、対日参戦の準備という名目で大量の食糧、燃料、資材、船舶(700隻以上)もアメリカから獲得。

まとめ

【なぜヤルタ会談はソ連の思い通りになったのか】

①ルーズベルトがスターリンを善人と思い込んだ。

②ルーズベルトが病気で職務遂行能力を失っていた。

③ルーズベルト政権内が工作員だらけであった。

④会談を取り仕切っていたアルジャー・ヒスが工作員だった。

⑤ルーズベルトが議会を無視した密室外交を行った。

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