~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「トラウトマン工作」「宇垣工作」に続いての「影佐工作(汪兆銘工作)」についてです。

日中戦争は日本・中国ともに常に拡大派(武藤章、東條英機、米内光政、広田弘毅、蒋介石、毛沢東ら)と非拡大派(石原莞爾、多田駿、トラウトマン、宇垣一成、高宗武、影佐禎昭ら)でしのぎあっていました。

(※)近衛文麿は「フラフラ」と定まらない。

参謀本部の流れを汲む「影佐工作」が順調に進む一方で、東條英機(当時陸軍次官)の「二正面作戦」演説は水を差すことになりました。

また、第2次近衛声明は汪兆銘含めて蒋介石にも交渉の間口を広げるものでしたが、蒋介石が応じることはありませんでした。

以下、「総力戦のなかの日本政治」(吉川弘文館 日本近代の歴史⑥:源川真希、2017年)および「満州建国の真実」(鈴木荘一、2018年)などを参考にさせて頂きました。

前回:宇垣工作まではコチラ

【年表】第2次近衛声明(1938.11.3)~東條英機の「二正面作戦」演説(1938.11.28)

1938年日本中国
7.五相会議「時局に伴う対支謀略」
・・・「支那一流人物」による新興政権成立を目指す
高宗武と板垣陸相の会談
11.3第2次近衛声明(※1)
第1次声明を修正、「東亜新秩序」建設表明
11.12長沙大火
(焦土作戦)
11.20重光堂会談@上海(※2)
影佐大佐と高宗武の和平会談で「日華協議記録」調印。
11.21影佐大佐、関係閣僚に報告
11.28東條英機(陸軍次官)(※3)
「ソ連・英米との戦争決意表明」
11.30御前会議「日支新関係調整方針」(※4)

(※1)第2次近衛声明

7月の五相会議で「支那一流人物」を起用して抗戦意識のない新興政権樹立させる方針が決まりました。

そして、その「支那一流人物」候補として汪兆銘の名があがりました。

また、長引く戦況、戦時体制に国民も「なぜ戦争しているのか」、だんだん疑問がわいてきます。

これらを踏まえて、近衛内閣は、

・「中国の主要都市は制覇した。いまや、国民党は地方の一政権に過ぎない」
「この戦争は東亜永遠の安定を確保すべき東亜新秩序をつくるためだ」
・「そのためには日・満・支で協力して、共産主義の拡大を防がなくてはならない」

(・東亜新秩序に協力するなら国民党でも良い)

「第2次近衛声明」を出しました。

これを発表することで、日本国民に戦争の意義を示すとともに、蒋介石がこの新秩序の建設に加わるのならば、拒否しないと述べました。

(しかし、蒋介石・毛沢東らは既に次の手を考えており、新秩序に参加することはありませんでした。)

(※2)影佐禎昭と「日華協議記録」

陸軍省軍務課長・影佐禎昭大佐が汪兆銘を相手として和平交渉を開始しました。

影佐大佐は元々主戦派でしたが、参謀本部時代に石原莞爾に感化されて不拡大派に転向しました。

(※基本的なことですが、陸軍の中には軍政を司る「陸軍省」と作戦を実行する「参謀本部」という2つの機関があります。【コチラも:戦略なき人事が国を滅ぼす】

上海で高宗武と会談し、

【日華協議記録】

・支那は満州国を承認。
・日本は戦費賠償を放棄。
・日本軍の防共駐屯はみとめ、内蒙古地方を特殊地域とする
・中国が日本人に居住・営業の自由を承認。
・日本は治外法権を撤廃
・協約以外の日本軍は停戦後2年以内に撤兵。

という条件を整えます。

これを板垣征四郎陸相、多田駿参謀次長(当時、参謀総長は閑院宮でしたので、参謀本部の実質トップは多田駿)らに報告して了承を得ました。

(※3)東條英機の「二正面作戦」

しかし、東條英機(陸軍次官:つまり板垣陸相の部下)が軍人会館(現:九段会館)にて、

「支那事変の解決が遅延しているのは、ソ連・英米が支那を支援しているからである。支那事変の根本的解決のため、ソ連・英米との戦争を決意し、準備しなければならない

と話します。

新聞各社はこれを「東條次官、二正面作戦を準備」と大体的に報道しました。

これにより影佐大佐の和平努力は水を差されます。

チョット待て、どこにソ連・英米を敵に回すだけの国力があるというのだ!!

(おまけ)東條英機と石原莞爾

さて、陸軍次官の東條英機でしたが、陸軍次官になる前は関東軍参謀長にいました。(司令官は植田謙吉。)

その時に、参謀副長として赴任してきたのが日中戦争の拡大を止められずに辞職した石原莞爾です。

両者が一緒に働いた期間は8ヶ月程度でしたが、とにかく衝突を繰り返しました。

イデオロギーが全く異なるのです。

 東條英機石原莞爾
陸軍士官学校17期生21期生
満州国の理念中央集権的構造(※)五族協和、王道楽土
日中戦争拡大派不拡大派
相手の評価「上下の規律を重んじる軍隊において許すべからざる者」「憲兵しか使えぬ女々しい奴」、「東條上等兵」
結果石原莞爾を左遷させる左遷される

(※)当時の満州は、「二キ三スケ」と呼ばれる5人が中心となっておりました。

東條英機(とうじょう ひで)・・・軍人。関東軍参謀長。のち首相。
星野直樹(ほしの なおき)・・・官僚。国務院総務長官。
鮎川義介(あゆかわ よしすけ)・・・財界人。日産創始者。
岸信介(きし のぶすけ)・・・官僚。総務庁次長、のち首相。
松岡洋右(まつおか ようすけ)・・・官僚。満鉄総裁。のち外務大臣。

五族(日・満・蒙・漢・朝)の頂点に日本人が君臨し、さらに日本人を、軍人・憲兵・官僚が束ねるというような、中央集権・独占資本主義的な状態で、石原の構想である「五族協和」とは全く違う状況でした。

(※4)日支新関係調整方針

さらに。

11月30日の御前会議決定で「日支新関係調整方針」が決定されました。

ここには重光堂会談ではなかった項目が盛り込まれていたのです。

【日支新関係調整方針】

・「新支那」の政治形態は「分治合作主義」をとること
・上海、青島、アモイは特別行政区域とすること
・日本は新政府に少数の顧問を派遣すること
・華北・蒙彊などにおける特定資源開発の便宜
・華北・南京・上海・杭州三角地帯へ治安確立まで日本軍駐屯
・揚子江・華南の特定地点に艦船舞台駐屯、航行自由
など

これらは1939年からの交渉まで中国側には伏せられていたのです。

高宗武
ひどいじゃないですか!
勝手に加えるなんて!

書籍紹介

あまり書店では見かけないのですが、このシリーズは買って良かったです。

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