~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「日中戦争第3R:上海・南京陥落とトラウトマン工作」についてです。

第1R:盧溝橋事件~船津和平工作まではコチラ

第2R:大山事件~石原莞爾辞任まではコチラ

「トラウトマン工作」により日中戦争は終結する可能性がありましたが、回答を待っている間にも戦局は拡大、和平案もグレードアップしたことで決裂しました。

【年表】第1次和平案(1937.11.2)~「対手とせず」(1938.1.16)

1937ー38年日本中国
9.27石原莞爾、参謀本部作戦部長辞任
11.2第1次和平案(※1)
11.3九カ国条約会議
11.5蒋介石、トラウトマン(駐華大使)による「第1次和平案」を黙殺
11.9上海攻略ドイツ式精鋭部隊を失う
11.15九カ国条約会議終結
11.20重慶に首都移転宣言
12.1南京攻略発令
12.2蒋介石、第1次和平案受諾を伝える(※2)
12.7蒋介石の第1次和平案受諾が伝わるが条件加重
12.13南京陥落(※3)
12.21第2次和平案(※4)
12.26「第2次和平案」が伝えられる
1.11御前会議(※5)
1.12第2次和平案の回答を督促
1.13閣僚懇談会
「トラウトマン和平工作」の回答期限を1.15とする
1.15大本営政府連絡会議
多田駿参謀次長、交渉継続を主張するも打ち切り決定
1.16第1次近衛声明(※6)
「国民政府を対手とせず」

(※1)第1次和平案

石原が参謀本部を去るとき、参謀本部情報部の馬奈木敬信(まなき たかのぶ)中佐が、駐華大使トラウトマンと友人であることを告げます。

(※馬奈木敬信・・・橋本欣五郎とともに十月事件の首謀者の1人でもありました・・・)

ここから「トラウトマン和平工作」が始まります。

日本は日独防共協定を結んでおり、そして中国はドイツ軍の軍事教練を受けており、ドイツは調停者としてはベストでした。

ここで、日本側が告げたのが、「第1次和平案」です。

【第1次和平案】

・満州国の正式承認を要求しない
・支那の賠償金支払いも要求しない
・排日政策の停止
・内蒙自治政府の設立
・共同で防共にあたる
・直ちに和平が成立する場合は華北の全行政権は南京政府に委ねる
など。

ただし戦争が継続される場合、条件は加重される

これに対して、蒋介石は黙殺。

自軍の防衛能力を過信していたとも言われますが、11月3日からの九カ国条約会議に期待していたから、ソ連の対日参戦に期待していたから、もしも受諾したとしたら国内で革命が起きた可能性があったから、とも言われております。

(※結局、ソ連は参戦せず、九カ国条約会議では日本への非難はあがりませんでした。)

(※2)南京に迫る日本軍

しかし、上海を攻略し、日本軍は首都・南京に迫ります。

ここでようやく蒋介石は第1次和平案受諾を駐華大使トラウトマンおよび駐日大使ディルクセンを通じて広田外相に伝えます。

蒋介石自身もその側近たちも、この条件は悪くない、と思い直しておりました。

ここが日中戦争終結の最大のチャンスであったと言われております

しかし、既に南京陥落寸前となった状況であったため、南京陥落後、「和平条件」を加重します。

(※3)南京陥落

いわゆる「南京事件」はこの時でした。コチラも

日本兵ですら食糧に苦しんでいたため、捕虜にまで食糧をまわす余裕がなかった、中国軍の指揮官が退却命令を出さずに逃げたため指揮系統が混乱した、などなど双方に問題点もあるのですが・・・

戦時における問題は南京事件だけではないと思いますが、戦争の恐ろしさを伝える材料の1つではあると思います。

(※4)第2次和平案

そして提出されたのが、「第2次和平案」

条件加重の理由の1つとして日本側の被害も甚大だったことが挙げられます。

【第2次和平案】

満州国の承認
支那の賠償金支払
などが追加。

しかし、これにより逆に反日感情に火をつけてしまいました。

(※5)御前会議

回答を引き延ばす蒋介石に対して、日本では御前会議、大本営政府連絡会議などが行なわれました。

多田駿参謀次長が

・条件を加重せず、第1次和平案で蒋介石との和平成立させるべき
・和平が実らなければ長期戦となり作戦に相当の困難がある

と力説したにも関わらず、

広田弘毅外相が、

・蒋介石が第2次和平案を受諾しないのであれば、交渉打ち切り
・私の外交経験上、支那の態度は和平解決の誠意なし
・参謀次長は外務大臣を信用せざるか

と反論、米内も内閣総辞職をちらつかせて、最終的に広田の意見が採択、近衛首相は蒋介石との交渉打ち切りを決定しました。

【この時期に広田弘毅が外相だったことのデメリット】

★中国への先入観

・「支那は約束を守らない」「外交経験に照らして和平の誠意はない」などと決め付けてしまっている点。

★帝国陸軍を過大評価

・杉山陸相らの言うとおりに賠償請求。中国が飲みにくい条件を押し付ける。

★外交官とは思えないほどの交渉

・しかも回答期限が10日などという短さ。外交官なら国家の重大事項を10日で決めることができないことは知っているはず。

★多田駿への恫喝

・交渉継続を主張する多田駿に「参謀次長は外務大臣を信用しないのか!」と恫喝。これではどっちが軍部かわからない。米内も含めて海軍、外務省が戦争継続にもっていこうとして、陸軍が戦争反対を掲げる構図であることは抑えておきたい。

(『大日本史』山内昌之・佐藤優、2017年、文春新書を参考)

(※6)対手とせず

そして、回答期限の1月15日が過ぎ、1月16日に出されたのが、「第1次近衛声明」です。

帝國政府ハ爾後國民政府ヲ対手トセス

従来、「暴走する陸軍」と言う呼ばれ方をされることがありますが、日中戦争に関しましてはむしろ自重していたのが陸軍(参謀本部)で、拡大派が官僚であったり、海軍であった、ということがわかるかと思います。

(※杉山元陸相をトップとする「陸軍省」は拡大派)

まとめ

★『トラウトマン工作』により日中戦争は終結するチャンスがあった。

★蒋介石が『第1次和平案』を早期に受諾しなかったこと、日本が南京陥落後に条件の厳しい『第2次和平案』を提出したこと、不拡大派の意見を押さえ込んだことで、日中戦争は拡大。

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