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☞【源義経は武士じゃない?】『義経の東アジア』(小島毅、2010年)

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「義経の東アジア」(小島毅、2010年、トランスビュー)です。

2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」に決定しました。

「源義経」の配役は今をときめく菅田将暉さんです。

源義経が源平合戦で果たした役割は大きいですが、

「源義経は武士ではない」と考えると一連の行動に納得がいく、というのが本書です。

痛快な書籍でした。

源義経は武士でない?

室町時代に書かれた「義経記」で義経は神聖化されました。

しかし、「平家物語」において義経は「色白、ちび、出っ歯」と書かれているのです。

「義経」という名前の人が2人いたため混同してしまったという説もあるのですが、悪口にしてはひどいですよね。

さらに、「生粋の京都人」だから、鎌倉武士たちの言葉が理解できたかすらも怪しいというのです。

つまり、東国の猛者揃いの源氏の宿営において、1人、「色白でチビで出っ歯」で「会話にもうまく参加できない」、大将の弟がいたということです。

ちょっとイメージ崩れますね。

また、「義経は武士でない」と考えると一連の行動が納得できるというのです。

なんて斬新。たしかにあれだけ後白河から官位をもらうな、って言われていたのに目が眩んだり、掟破りで船の漕ぎ手を狙ったり。義経は武士ではなかったから、と考えると納得。

弁慶も武士ではない!

また、義経を庇って戦死したと描かれる弁慶も「忠義」の人という固定観念を外してみろというのです。

と言いますのも、1180年の最後、平重衡による「東大寺・興福寺焼き討ち」があり、復興事業には醍醐寺の重源(1121~1206)が関わっていました。

(ちなみに重源が85歳で死んだあと引き継いだのは栄西。)

「勧進帳」は寺の復興事業でもありました。

そして、奥州平泉の藤原氏をパトロンとして頼って行くのに、義経がいると都合が良かった、というわけです。

そして、日本風儒教を抜きにして考えると、

弁慶が義経を殴ったのは、義経を庇うためではなく、東大寺再建のためで、

源氏の抗争などあずかり知らなかったのでは?

という発想が生まれるのです。

ちなみに時代劇「勧進帳」における主人公は弁慶で、義経は「バカ殿」の役回りです。

のちの「赤穂事件」もそうですが、

バカ殿がいてはじめて「武士道」が成立する。

のです。

優秀すぎる殿の前では武士道っぷりを発揮できない。

近年、義経の評価は「ダダ下がり」と言われておりますが、義経を「ルール無視、何をしですかわからない色白非武士京都人」、弁慶を単なる「東大寺再建目当ての僧兵」とすると、スッキリしませんか?

まとめ

源義経は「武士じゃない」と考えると一連の行動に納得がいく。
一ノ谷の合戦では「急襲」、屋島の戦では「背後から襲撃」、壇ノ浦の戦では「非戦闘員へ襲撃」。
「何をされるかわからない」ので平家は集団自殺した。

★生粋の京都人である義経が鎌倉武士の言葉が理解できたかも怪しい。
後白河法皇から勝手に官位をもらって頼朝に追われるが、そもそも鎌倉武士に溶け込めていなかったのでは?

★1180年、平重衡による東大寺・興福寺焼き討ち。
この再建事業に勧進が行われていたことと、奥州藤原氏が実際のパトロンであったことを考えると、弁慶の勧進帳は義経のためではなかった?なんて、発想も。

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