こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「父が子に語る日本史」(小島毅、2008年、トランスビュー/2019年、ちくま文庫)です。
「父が子に語る…」というタイトルはもちろんネルー元首相へのオマージュですね。
「偏狭な愛国主義者になってはいけない」という作者の思いには「ハッ」とさせられました。
2019年に文庫本化。より多くの人の目に触れられると良いと思います。
以下、読書メモ。
<剣の章>
日本史は頼山陽の「日本外史」抜きには語れなくなってしまった。
室町時代に「南朝史観」など存在しなかった。しかし、江戸時代に入って儒教が取り入れられて、「天皇中心」史観それも「南朝」中心の史観が持ち出されたことが、現在にも影響を及ぼしている。
【南朝の真実】
これには、徳川家と新田家の関係もあったのかも知れない。(徳川家の祖先の系譜に新田家も入る。)
徳川光圀の「大日本史」、新井白石「読史世論」を経て頼山陽の「日本外史」が成立したが、段々と偏りが出てきた。最終的に「この国は天皇が治める国」ことが当然のようになって、明治維新に至った。
そうして作られた明治維新も、当初は「尊皇攘夷」とか言っていたくせに、いつの間にか井伊直弼の路線を継承している。
<心の章>
神話を信じるか否か。
★神武天皇が即位した日とされた「建国記念の日」は、明治6年、旧暦とのずれを埋めたときに造られた旧正月に「設定」された。(ほとんどでっち上げにせよ。)大日本帝国憲法制定日も、わざわざこの日が選ばれた。
★「複数の古代」(神野志隆光さん)はオススメ。
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★日本書紀の編集者たちは当然、卑弥呼のことを知っていたであろう。そのうえで神功皇后との合体が行われた。
(追記:これは「畿内説」を前提とした考えでしょうね。)
★「神皇正統記」(北畠親房)は古典のうち、重要と思われるところを抜き取ったもの。親房が応神天皇(神功皇后の後)の功績として選んだのは
①百済から博士が来たこと
②武内宿禰が大臣に復職、蘇我氏の祖先となったこと。
百済から来た人物は王仁と呼ばれ、彼により論語がもたらされた。今の教科書には「6世紀に百済から渡来した五経博士により儒教が伝えられた」という記述にとどまる。
♨越前の継体天皇の家系を経て、欽明天皇即位で再び大和系に戻る。
★六国史は宇多天皇期の日本三代実録で終わっているのには意味がある。漢文で書かれた六国史は遣唐使廃止によって漢文で書く必要がなくなったからである。とはいえ、大日本史も、日本外史も漢文。
<宝の章>
★日本に特有なのは「無常」という感情。良いことが続くと、次は悪いことがおこるんじゃないか、と思うのは藤原道長の代に既にある。
★ライシャワーの影響で円仁の「入唐求法巡礼行記」はアメリカでは有名である。
♨万葉集でめでられている花は梅。古来、中国では梅が大事にされた。
<鍬の章>
仁義道徳を疑う。
仁義道徳で歴史を作ってはいけない。(追記:この言葉は深い…)
足利尊氏、義満あたりは被害者。
★仁義道徳をふりかざして戦争している現代と中世とではどちらが幸せか。
★「院政開始(堀河天皇)」→「壇ノ浦の戦い」→「鎌倉幕府成立」まで1086年から1185年の100年はめまぐるしい。頼朝が征夷大将軍に就任(1192年)したのは単に就任に反対していた後白河法皇の死去を待っただけである。
★12世紀は東アジア全体も激動の時期であり、1127年には「靖康の変」が起き、1206年には「モンゴル帝国」が成立した。鎌倉幕府成立はこれらとは無関係ではなく、いわば12世紀は東アジア全体が「諸行無常」。東アジア全体で歴史を考えるべき。
★京都に古都らしきものはあまり残っていない。
(追記:非常に同感!!むしろそれを求めてくる人がかわいそうになる。)
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