~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑱:1294-1296年」です。

2度にわたり日本を襲ったフビライもついに死去。

孫のテムルが即位します。

その後、テムルはカイドゥの乱も治め、

束の間の平和が生まれます。

永仁2年(1294年)年表

1/22フビライ、死去

※83歳。
4/7フビライ孫のテムルがクリルタイでカアンに選出(※1)

※カダアンの乱鎮圧が認められて皇太子となっていた。
4/日像が入京、法華宗布教を開始。

※他宗より迫害を受け、一時は京を追放される。
※その後、後醍醐天皇の後押しもあり、妙顕寺を建てる(1321年)。
※一向宗が農村に普及したのに対して、法華宗は町衆の心をとらえた。

永仁3年(1295年)年表

3北条兼時、元軍の来襲を予測して九州の御家人たちと狼煙(とぶひ)の訓練

※襲来を早く伝えるために狼煙を用いる予定であった
4/23北条兼時、名越時家、異国打手大将軍を辞職して鎌倉へ帰国

※元軍の来襲が来なかったため。北条兼時はその後、幕政に参加したが5ヶ月後に32歳の若さで逝去。

永仁4年(1296年)年表

7/金沢(北条)実政、博多へ派遣される

※「鎮西探題」として。
※実政の時代から裁判権を得たため、実政を初代「鎮西探題」とする学説もある。

(※1)テムル

【テムル】(1265-1307)

第6代カアン、元としては第2代皇帝。フビライの次男、チンキムの三男。カダアンの乱をおさめた功績などが認められてカアンに就任。カイドゥとの争いを制してモンゴル帝国の内乱を45年ぶりにおさめ、中央アジアに平和をもたらす。晩年は飲酒などの不摂生がたたり、41歳で逝去。

カイドゥとは1300年に天下分け目の大決戦があった。

この時に受けた傷が元でカイドゥは1301年、死去。

中央アジアに平和がもたらされることとなった。

フビライ時代とは異なり、日本へ恫喝的なことはしなかった。

北条時宗、フビライから北条貞時、テムルへと代わり、日元関係も新時代を迎えた。

しかし、なんで2人とも酒に溺れて40歳くらいで死んでしまうのか…

このあたりの同時性もちょっと興味深いですが…

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感想(0件)
(↑)「酔っぱらいが変えた世界史」という本も出版されるほど。

酒と歴史は切り離せないもんですなー。

お酒はほどほどに。

(※2)金沢(北条)実政

【北条実政】(1249-1302)

北条時宗政権を支え、「金沢文庫」の創始者としても知られる北条実時を父に持つ。元寇に備えて九州に派遣されて弘安の役で活躍。その後も異国警固の責任者となる。鎮西探題となってからは軍事権と裁判権を掌握し、鎮西探題は最盛期を迎えた。

九州は任せた!
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