~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉒:1303-5年」です。

1305年、北条一門の内紛が再び生じ、

連署・北条時村が誅殺されます。

問題はこれが北条宗方の単独犯なのか、北条貞時の命を受けてのものなのかなのですが、

いずれにしても実行犯の北条宗方は北条貞時の許可を得た北条(大佛)宗宣により討たれました。

北条貞時は以後、政務へのやる気も失いました。

乾元2年/嘉元元年(1303年)年表

5/9亀山天皇(53)、恒明親王を授かる

※晩年にできた恒明親王も皇位につけようと考える
8/5嘉元に改元

※彗星と日照りによる
12/2北条高時、出生

※北条貞時3男。長兄、次兄は早逝しているので、実質的に嫡男。
※闘犬に贅を尽くす姿がクローズアップされるが、元々病弱であった。

嘉元2年(1304年)年表

7/16後深草院(61)、逝去

※持明院統のトップ。
※翌年には弟の亀山院が逝去。

嘉元3年(1305年)年表

4/22北条貞時邸で火事

※以後、「嘉元の乱」(または「北条宗方の乱」)。
4/23連署:北条時村、討死(※1)

※北条宗方(貞時の従兄弟)が「北条貞時の仰せにより」と言い、時村邸を襲撃する。
※時村の孫の北条熙時(26:貞時の義理の息子)は生き残り、のちに第12代執権となる。
5/4北条宗方、討死

※大佛宗宣(前・連署:大佛宣時の息子)の命による。
7/22大佛宗宣、連署就任

※これでひとまず収まる。
※北条貞時は政務への意欲を失う。
7/27足利高氏、誕生

※性格な日時はわかっていない。
9/15亀山院(56)、逝去

※大覚寺統のトップ。
※晩年に授かった恒明親王も皇位につけてくれと遺言。
※これに対して後宇多上皇(同じく亀山院の息子)は、そうしたら恒明親王の系統に皇位がいってしまうと危機感を抱く。

(※1)嘉元の乱

北条貞時(33)
私、実の兄弟がいないんですよー。

それで師時、宗方を実の兄弟のように立場を引き上げ、

私と私の息子の補佐役を果たしてもらおうと考えました。

ただ、まだ盤石とは言えませんでねー。

北条宗方(27)
さすれば、狙いはアレですな。
北条貞時(33)
そう。

連署の北条時村、

そしてその背後にいる大佛。

北条時村(63)
な、なぜ私が殺されなければ…
大佛宗宣(46)
おいおい、貞時ちゃんよぉー、おもしれーことやってくれんじゃん。

宗方の野郎、シメとくわー。

それで手打ちとしようや。

でないと、わかるよねー?

 
北条貞時(33)
ぐぬぬ…。

宗方、許せ…。

1272年の二月騒動にちょっと似てるなー。

このときは得宗家が寄り切った形になったけど、

今回は貞時に利があったとは思えん…。

(このあとは酒浸りになるし。)

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