こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉕:1312-5年」です。
1311年に北条基時(第10代執権)、北条貞時(第9代執権)が相次いで亡くなったのに続き、
1312年に北条宗宣(第12代執権)、1315年に北条熙時(第13代執権)も亡くなりました。
5年間で執権および執権経験者4人が死去する異常事態です。
応長2年/正和元年(1312年)年表
3/20 | 正和(しょうわ)に改元 ※天変地震による |
5/29 | 第11代執権・北条宗宣(53)、執権引退 |
6/2 | 第12代執権に北条熙時(はるとき:33)就任 ※嘉元の乱(1305)で殺害された北条時村の孫。 ※第9代執権・北条貞時の娘を妻に持つ。 |
6/12 | 第11代執権・北条宗宣(53)、死去 |
正和2年(1313年)年表
– | 花園天皇(16)、「治天の君」が父(伏見院)から兄(後伏見院)へ変わる ※院政を行うものが「治天の君」と呼ばれる |
正和3年(1314年)年表
– | 特記なし |
正和4年(1315年)年表
4/20 | 鎌倉大火 ※港で出火。政所、問註所、執権の屋敷などが燃えた。 |
7/11 | 第12代執権・北条熙時(36)、病のため執権辞職 ※第13代執権には北条基時(29)。 ※普恩寺(ふおんじ)基時とも呼ばれる。 ※連署には北条(金沢)貞顕(37)、のち15代執権。 |
7/18 | 第12代執権・北条熙時(36)死去 |
– | 欧州を中心に大飢饉が生じる(~1317) ※悪天候によりロシアからイタリアまでが大打撃。 ※繁栄の時代が終焉。 ※それまでは人口増加が激しかっただけに、余計に食糧難。 ※ニュージーランドのタラウェラ山の噴火が原因ではないかと考えられている。 |
– | 兵庫関悪党襲撃事件 ※借上(金融業)を営む延暦寺の僧を筆頭に悪党約100人が兵庫関(東大寺領)の調査に来た守護の使者を襲撃。 ※関所は商業・運輸業者にとって大きな障害であり憎むべき対象となっていた。 ※この年、幕府が守護地頭に悪党追捕を命じる。 |
(※1)相次ぐ執権死亡!
これだけ執権が亡くなるのは血族結婚の影響でしょうか??
どうでしょうなぁ。
やっぱり世界的な寒冷化の影響じゃないでしょうかねぇ。
鎌倉時代にも医者はいたみたいですが(主に僧侶)、
お手上げだったことでしょう…
この頃、天候不順が続いたのですが、
1315年のニュージーランドでの噴火も気候変動に拍車をかけたみたいですよ。
噴煙などで太陽光が遮られてしまうんですよ。
これを「火山の冬」と呼びます。
みんな死んじゃったー。
そろそろ僕の出番かなー。