~只今、全面改訂中~

☞【桓武天皇のパフォーマンス】『平安遷都と対蝦夷戦争』(古代史講義9-2)

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「桓武天皇時代の対蝦夷戦争」です。

前編はコチラ

「古代史講義」を参考にさせて頂きました。

780年、伊治呰麻呂の乱

藤原仲麻呂政権の頃より東北地方の版図は拡大します。

そして、光仁天皇の時代に、伊治城まで進んでおりました。

しかし、この地域は蝦夷たちの本拠地。

朝廷側にいた伊治呰麻呂は陸奥按察使を殺害し、さらに蝦夷の一斉蜂起により、国府多賀城が襲撃されました。

光仁天皇はすぐに中央から大軍を送って蝦夷を攻撃しようとしましたが、大使・藤原継縄は一向に赴任しません。

そこで大使を藤原小黒麻呂に変更しましたが、戦果は上がりませんでした。

781年、桓武天皇即位と小黒麻呂帰還

このような状況下で桓武天皇が即位します。

しかし、多賀城以外も襲われていて備蓄していた武具や兵糧も失われていたため、小黒麻呂は城柵を復旧させるだけで精一杯だったそうです。

そのため、桓武天皇は小黒麻呂に対して怒りはしましたが、功をねぎらい叙位を行うことにしました。

そして、この寛大な処置はのちの平安遷都で生かされるのです。

785年、征東将軍大伴家持死亡と藤原種継暗殺事件

この年、前年に征東将軍に就任していた大伴家持が死亡しました。齢70歳。

大伴家持は歌人のイメージが強いのですが、れっきとした武人です。

(そしてまた、藤原種継暗殺事件の首謀者でもあります。)

高齢者を征東将軍に任命するのはミスチョイスでは?と思いますが、どうなんでしょうね。

いずれにしても、まだ蝦夷征伐どころではありません。

789年、第1次征夷。紀古佐美vsアテルイ。

桓武朝での征夷は5回計画され、そのうち実行されたのは3回です。(最初と最後は実施されていない。)

第1次征夷では征東大使に紀古佐美を任命。

小黒麻呂の件での失敗例から事前に多賀城に兵糧を蓄えていました。

しかし、紀古佐美は、なかなか兵を進めることができません。

そこで桓武が叱責したため、進軍してから2ヵ月後にようやく戦闘が開始されました。

結果、紀古佐美軍は、アテルイの罠にかかり大敗します。

兵糧が足りなかったこと、混成軍であったこと、各隊に適切な指示を出せる指揮官が不在であったことなどが問題とされました。

いずれにしても第1次征夷は失敗に終わります。

794年、第2次征夷。大伴弟麻呂vsアテルイ

第2次征夷は前回の反省を踏まえ、より大量の兵糧、大量の武具を調達します。

征東大使には大伴弟麻呂(おとまろ)、副使には坂上田村麻呂が任命されました。

田村麻呂はまだ若かったが、藤原仲麻呂の乱で功を立てた坂上苅田麻呂の子であるとともに、その資質は若くして見出されていました。

第2次征夷は指揮系統も整え、坂上田村麻呂の大活躍もあり朝廷軍が勝利します。

なお、大伴弟麻呂は途中で官名が「征東大使」から「征夷大将軍」に変更されている。すなわち日本最初の「征夷大将軍」は坂上田村麻呂ではなく、「大伴弟麻呂」です。

征夷の勝利報告日と、平安遷都布告は同じ日にし、桓武は両事業の成功を最大限にアピールしました。

なお、遷都に当たっては藤原継縄、小黒麻呂、紀古佐美など征夷では失敗したものたちが活躍しました。

これには桓武が寛大な処置を施した影響もあるでしょう。

797年、第3次征夷。坂上田村麻呂vsアテルイ

詳細は「日本後記」の欠失で不明であるが、801年には戦勝報告がなされています。

802年、胆沢城造営、アテルイ・モレ投降

田村麻呂は2人の助命嘆願を行うが、中央政府の憎悪は深く処刑されました。

♨胆沢城と北上川を挟んだ南が平泉。奥州藤原氏の都。

803年、志波城造営

胆沢城を築いた後も、さらなる版図拡大をめさして、さらに北方に拠点を作りました。

志波城は、陸奥国最北にして、東北地方最大級の城柵となります。

さらに、桓武は「第4次征夷」を計画しますが…

805年、徳政相論。藤原緒嗣の意見で軍事と造作が中止。

しかし、さすがに資金難に陥ったため、有名な「徳政相論」によって、遠征(および造都)は中止となります。

この時の、遠征賛成派は菅野真道(65歳)、遠征反対派は若干32歳の藤原緒嗣(ただし藤原百川の息子)。

ただ、

70歳になろうかとしている桓武が本気で軍事と造作を続けるつもりであれば、当時32歳の藤原緒嗣の意見など聞くはずがない

そもそも徳政相論などもさせない。

でしょうね。

これは桓武の人気取りで、民の疲弊を考えて二大事業を止めるという徳のある君主の姿を見せようとしたものです。

その3ヵ月後、桓武は死亡します。

「軍事(征夷)と造作(造都)」という桓武朝の二大事業は「成功」と見てよいでしょう。

(※国際情勢的には以前ほど体外圧力は減っていたと考えてよい時期でした。)

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