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☞【南北朝時代第3期⑳:1388年】『義満、富士山観光で氏満を牽制』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第3期⑳:1388年」です。

「小田孝朝の乱」は男体城陥落をもって終結。

小田孝朝は足利義満の取りなしで命は救われましたが、大幅な所領没収を受けました。

一方、義満は富士山観光を名目に東国を牽制をします。

この時期、まだ南朝の残党が義満を狙ったりと完全な安定とはいえない時期でした。

嘉慶2年/元中5年(1388年)年表

5/18男体城、陥落(小田孝朝の乱、終結)

小田氏の留守を預かった小田五郎は、真壁氏など鎌倉府に不満を持つ豪族らとともに、「男体城」という山城を築いて抵抗するが、佐竹氏に補給路を絶たれ、さらに上杉軍の総攻撃によりついに陥落した。

小田五郎は自刃。小山若犬丸はまたもや逃亡した。
5/22小田孝朝、赦免

足利義満の取り成しにより足利氏満は小田孝朝を赦免。
しかし、所領の大幅な没収と小田治朝を人質として那須氏に預けることを条件に小田孝朝を赦免した。
これによって、小田氏の勢力は衰退。守護の地位も佐竹氏が占めることとなった。

一方、肝心の若犬丸の捜索には失敗し、以後も「田村庄司の乱(1395)」など東国における戦乱の要因となった。 
7/九州探題今川了俊、九州で倭寇に誘拐された俘虜を返還
8/17平尾合戦

足利義満、紀伊国の津島神社遊覧から帰京中、南朝の楠木正勝の奇襲を受ける(@河内国平尾:大阪府堺市美原区平尾)。

しかし、南朝に情報網を張っていた山名氏清によって迎撃される。
9/足利義満、駿河に赴き、富士山を観る

★単なる観光ではなく、東国への示威行動。
足利義満
氏満くーん
足利氏満
義満さま、なんでしょうかね
足利義満
あんまりイタズラなことしちゃだめだよー
足利氏満
ははは、もちろんわかっておりますよ。
楠木正勝
よし、義満を狙うぞ
山名氏清
残念だったな、お前らの行動は私の情報網に筒抜けじゃ