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☞【南北朝時代第3期㉓:1391年】『幕府vs山名!明徳の乱!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第3期㉓:1391年」です。

いよいよ、南北朝統一まであと1年。

最大の目玉は「明徳の乱」です。

明徳2年/元中8年(1391年)年表

4/-管領、斯波義将に代わり細川頼元に

★1393年に辞任するまで続き、1393年に斯波義将に再び交代。

【管領】
以前は「執事」職にあたり、高師直らが就いていたが1362年の斯波義将より「管領」と名前を変える。室町時代は、斯波氏・細川氏に新たに畠山氏を加えた三氏が担う。
9/八代城陥落(熊本県八代市)

★名和顕興も降伏。後征西将軍宮(良成親王:後村上天皇皇子)は筑後八女(福岡県八女市)に逃れる
10/山名氏清、宇治の別荘に義満を招く

★この時点で山名時熙は赦免されており、山名氏清は病気を理由に面会をキャンセルしたところ、義満が激怒
★満幸が後円融上皇の所領を押領したことも問題となり、今度は氏清と満幸が討伐の対象に
★氏冬の子、氏家は京都を出奔
★義理は中立の姿勢
11/足利義満、山名満幸を出雲守護から解任

★満幸が仙洞御料(=退位した天皇の土地。この場合は、後円融上皇の土地)である出雲横田荘(島根県奥出雲町)を押領し、停止命令に従わなかったため。
★京を追放され丹後への在国を命じられた満幸は氏清のもとへ向かい、「何かにつけて山名氏を滅ぼそうとしている」として、細川頼之を討つべく挙兵を主張。氏清は義理にも協力を要請して同意を得る。
12/23因幡守護、山名氏家が八幡(京都府八幡市)へ下向。京は大騒ぎに。

★さらに山名満幸は丹後から丹波へ、氏清は和泉から八幡へ、義理は紀伊から天王寺へ向かう。
★義満は戦闘回避に向け義理に説得を試みるも失敗。
12/25義満は諸大名を集め、合戦の評定を行う

★天下静謐が重要で赦免も検討すべきとする意見が優勢の中、義満は山名氏が天下簒奪を目的としているとして戦闘を決意。
★参加した武士は細川頼之、細川頼元、細川光春、畠山基国、今川泰範、今川仲秋、一色詮範、斯波義重、大内義弘、赤松義則、佐々木京極高詮。
★義満直属の親衛隊とともに内野(京都府京都市)に布陣。
12/26足利義満、出雲国人の古志義綱に対して山名氏追討を伝え、幕府方として軍事行動を展開するよう命じる
12/27離宮八幡宮(京都府大山崎町)の大山崎神人に、南朝の軍勢が京に進攻するから路を塞ぐよう命じる

★山名氏清対策。山名氏を南朝と認識している。
12/30戦闘開始(明徳の乱)

★山名高義(時氏の息子)、小林義繁(山名氏家来)が二条大宮に兵を進め、大内義弘と戦闘。大内義弘の前に2人とも戦死。
★山名満幸は内野(京都市)で細川頼之、畠山基国と戦闘。足利義満の直属軍「御馬廻」の出撃により敗れた満幸は丹波路へ没落。
★山名氏清は二条大宮、二条猪熊に進攻し、大内義弘、赤松義則と交戦。この戦闘では山名時熙が幕府方として山名氏清の軍勢と戦っている。御馬廻の活躍により氏清は押小路大宮にて戦死。
★1日で戦闘は終結。
★山名満幸は丹後で幕府軍を迎え撃つことを図ったが同国の国人が敵対したため伯耆に逃亡

【戦後処理:氏清・満幸・義理の分国】
山城→畠山基国
丹波→細川頼元
丹後→一色満範
美作→赤松義則
和泉・紀伊→大内義弘
但馬→山名時熙
伯耆→山名氏之
出雲・隠岐→佐々木京極高詮
若狭税所今富名→一色詮範

※山名氏の分国は因幡の山名氏家(←何かしらの取引があった?)を含めて、3国に縮小。

★また、土岐康行の乱で失脚した土岐康行は奮戦が認められて、伊勢守護を勝ち取る
★一方、尾張守護であった土岐満貞は、合戦の場で拾った首を持参して戦功を誇ったことがバレて尾張守護を剥奪される

※尾張守護は一色詮範に
山名時熙
義満さま、父が存命中はいろいろと失礼致しました。今度は幕府のために働きますゆえ、なんとか許して頂けないでしょうか?
足利義満
そうかそうか。それよりちょっと困ったことがあってね。満幸が上皇の土地を占領して言うこと聞かないんだよ。あいつ、ちょっと調子乗ってないかね。
山名時熙
さようですか…、満幸くんは欲張りですからね…。氏清さんに言ってみてはどうでしょうか?
山名氏清
う!将軍との関係強化を図ろうかと思ったけど、満幸のこと突かれるとマズい!ここは仮病だ!
山名満幸
氏清おじさん、将軍はなにかにつけて山名氏を滅ぼそうとしていませんかね!!欲しかったんですから、上皇の土地くらいくれたっていいじゃないですかね。きっと裏で糸を引いているのは細川頼之でしょう!あいつを倒しましょう!
山名氏清
そうじゃな…。こういうときは、「南朝」ってことにして京都に攻め込んだら、なんやかんや幕府に不満持つのもついてきて、京都を奪えるんやな。そんでもって、幕府も我々と和解するためにさらに領土をくれる、ってもんだ。
足利義満
あー、そういう考えが良くないのよ。上皇の土地、勝手にとっちゃだめでしょ、って言ってるだけなんだけど、言うこと聞かないのなら、足利と山名、どちらに天運があるのか勝負しないとだな。
細川頼之
はい、そうですね…。私が失脚したあのときと違いまして、今では義満様の直轄軍がありますし…
大内義弘
そう、そして何より私がおります。歴戦の雄・山名氏清、相手にとって不足はございません。
山名時熙
私も御馬廻に加わります。しかし、この戦、義満さまが氏清さん・満幸くんを挑発したみたいな書き方をされるのですが、単に満幸くんが欲張りすぎたって言う気もするんですよね…。既に10カ国有していて、ちゃんと幕府に協力的ならこういうことにはならなかったと思うんだけど、自分だけは大丈夫と思ったんじゃないかな…。義満さんもギリギリまで政治的決着を考えていましたしね…。まあ、僕は自分にできることをするだけです。
山名氏清
や、やられたーーーっ!思っていたより強かったっ!!
山名満幸
ここは一旦退却して再起を図る!全軍、退けーーっ!!
土岐満貞
どうじゃーー!将軍様、私の活躍で山名を蹴散らしましたぞ!見てください、この首!
足利義満
あれ?それ誰の首?
土岐満貞
えっと、これは山名満幸だったかな、あれ氏清だったかな、義理だったかな…
足利義満
えっと、ずっと見てたけど、お前、ビビって逃げ回ってたよね??兄さんの康行が頑張っているのは見たけど。それに満幸は逃亡したよ。
土岐満貞
ハハ…、あれ、そうでしたっけな…えっと、記憶違いでしたかな…ハハ…
足利義満
はい、お前は尾張守護剥奪ね。で、康行くんは頑張ったから伊勢をあげるよ。これからも幕府のために頑張ってくれ。
大内義弘
私は山名義理討伐にいけば良いのですね。
山名時熙
私は満幸の方ですね。相手はまだ勢力を張っておりますが氏之さんや、佐々木京極さんたちとも協力して進めていきたいと思います。
足利義満
ふぅ。それにしてももう幕府に対立するのに南朝の旗頭を使うのは辞めにしないといけないな。九州の方もうまくいっていると聞くし、いよいよ南北朝合一に向けて取り組むとするか。