こんにちは。
今回は、「排日移民法」についてご紹介します。
結論から申しますと、1924年に制定された「排日移民法」は、
アメリカが日本を狙い撃ちしたものではありません。
以下、「もう一つ上の日本史」をベースに紹介させて頂きます。
1930年代に右翼・軍部によって再度強調(p175)
1924年の「排日移民法」で、日本だけが除外されたわけではありません。
むしろ問題はこのことが1930年代に軍部・右翼によって蒸し返されたことです。
むしろ私は日本との関係を重視したかったので反対しておりました。
しかし、野党優位の議会が可決してしまうのです。
【年表】「排日移民法」(1924)ができるまで
1906 | サンフランシスコにて 公立学校に通う日本人学童を東洋人のための学校へ転校させようとする動きが出るが、セオドア・ルーズベルトが大統領権限で撤回させる。 (他の東洋人と異なり日本だけ特別扱い) |
1907 | 林董外務大臣と駐日大使オブライエンとの間で紳士協定が結ばれる 日本がアメリカへの移民を自主的に規制するという形にした |
1913 | カリフォルニア州で州法 「市民権の無い外国人の土地所有および3年以上の貸借を禁止する」 (「排日土地法」と呼称しているのは日本だけで、日本人に特定したものではない。しかも「州法」に過ぎない。) |
1924 | ジョンソン・リード法(排日移民法) 「1890年を基準年としてその出身別移民数の2%に移民を制限する」 しかし、これ以前に中国、朝鮮はすでに制限されています。 日本だけに向けられたものではないのですが、この法律を「排日移民法」と呼んでいるのは日本だけです。 |
日本が気遣われている様子がわかるでしょう?
制定当初は反米感情がありましたが、すぐに鎮静化しました。
移民のおかげで発展しましたが、増えすぎると国民の仕事が取られてしまうんですよね・・・
(現代にも通じますねぇ~。)
日本とは経済的な結びつきが強い【コチラも】ので、特別に配慮してきました。
東海岸ではWASPたちが移民に反対していました。
西海岸では南欧、東欧出身の労働者たちが自分たちの仕事を奪われることを懸念して反対していました。
アメリカさんの敵意ばっかり強調してはいけねぇや。
しかし、1930年代に入ると軍部や右翼が「排日移民法」と喧伝して日米の対立を煽るわけですよ。
実際は日本だけがターゲットになったというわけではないのに。
実際は日本だけがターゲットになったというわけではないのに。
そうは言ってもやっぱりネガティブな影響強かったんじゃないですかねー。
コチラも↓
【まとめ】
1924年、「排日移民法」
問題は、これが1930年代に軍部・右翼によって「蒸し返された」こと。