こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「1942年7月~12月」です。
6月のミッドウェイでの敗戦も大きかったのですが、その後の「ガダルカナル攻防戦」の敗戦の方が大きかったと言う識者もいるようです。
【年表】1942年7月~12月
1942年 | アジア | 太平洋 | 日本国内 |
---|---|---|---|
7月 | ポートモレスビー作戦変更 ・連合軍拠点のポートモレスビー攻略を画策していた ・海上からの攻略は難しくなったために山脈の反対側からの陸路に変更 ・攻撃拠点はニューブリテン島のラバウル ・ガダルカナル島にも飛行場を建設 | ||
8月 | 米軍、ガダルカナル島上陸(※1) ・日本軍守備隊を打ち破る ・日本側は連合軍の反攻を1943年以降と読んでいたため想定外 ・飛行場奪回をめざす【一木清直:悲劇の指揮官】 ・のち日本は戦力の逐次投入を行い損失拡大(第1次~第3次ソロモン海海戦) | ||
9月 | |||
10月 | 米英、蒋介石に治外法権撤廃を約束 | ||
11月 | 東條内閣、「大東亜省」設置(※2) ・大東亜地域の総指揮 ・東條と軍部が主張 ・外務省は反対 ・東郷茂徳外相辞任 | ||
12月 | 日本、ガダルカナル島撤退決定 ・第38師団長からは精神論による局面の打開が強調される始末 ・死者2万人以上の大部分は餓死・病死 ・翌年2月に撤退 |
(※1)ガダルカナル攻防戦
あれこれ書くよりもこれ読んだ方が早いと思います。(↓)
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190919/index.html
ちょっとだけ抜粋すると、陸海軍が協力して行うはずだったけど、海軍は米空母撃沈に執着しており、結果として陸軍を「囮」に使った、と。
陸海軍が別々の目的でやっていたら、そりゃうまくいくはずがない、と素人ながらに思います。
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♨dvd観ました。アニメばかり観ている小学生の子供たちも固唾を呑んで静かに観ておりました。オススメです。
それにしても昨今のyou tubeには驚かされます。
ガダルカナル島は「ガ島」=「餓島」と呼ばれてしまうくらい、餓死・病死者が多かったことも忘れてはいけません。
服部卓四郎が「補給に問題なし」と本部に告げていたことも十分問題だと思うのですが…
あとは飛行場建設スピードの圧倒的な差も指摘されておりますね。
日本は人力、アメリカは機械。
陸軍内にはさらに増派してガダルカナル島を死守すべしという意見もあったのですが(田中新一)、そうなったらどうなっていたでしょうか。
東条は経済的理由で田中の意見を却下し、激論相手の田中は更迭されます。
ソロモン海海戦で三上艦隊は完勝しました。
(重巡4隻撃沈、重巡1隻大破、駆逐艦2隻大破、日本艦隊は損傷程度。死者も日本58、米蘭1023)
しかし、肝心のガダルカナルに物資を積み込む輸送船を攻撃しないで帰ってきたため、ガダルカナルの米軍はパワーアップしました。
なぜそんなことになったのかと言いますと、軍艦を沈めると50点、商船を沈めても5点の評価だったからです。
目的は補給阻止だったのに、これでは本末転倒。ラバウルの二見陸軍参謀長は「なんだ、ミカンを取りに行って皮だけ取って帰ってきたのか」と呆れました。
(※2)「大東亜省」設置をめぐって
東条首相と軍部は占領地行政を手中に収めたいという希望がありました。
東条首相にとって外交とは対立する国家を対象とするものであり、大東亜地域内はこれに当てはまらず日本を指導者としての「外政」と考えておりました。
「家長」と「家族」のような関係、と述べてもおります。
これに対して外務省は権限の削減と反対。
東郷茂徳外相は辞職しました。
東条が描く、「家長」と「家族」のような関係は、1943年11月の大東亜会議として現れます。
まとめ
日本は撤退を決意。
この敗戦が最終的に勝負の分かれ目となった可能性がある。
つづきはコチラ。