~只今、全面改訂中~

こんにちは。

ガダルカナル島を失い、太平洋戦線は不利になる一方でしたが、キスカ島撤退作戦のようなパーフェクト・ゲームもありました。

しかし、太平洋戦争最大の珍プレー(語弊があるかも知れませんが)は、その後の連合国側の「キスカ島上陸作戦」でしょうか。

「死せる孔明生ける仲達を走らす」結果となりました。

11月には大東亜会議が行われる一方、連合国側はカイロ会談、テヘラン会談で今後の方針を決定します。

以下、「総力戦のなかの日本政治」「太平洋戦争の新常識」などを参考にさせて頂きました。

【年表】1943年7月~12月

1943年東南アジア太平洋その他
7月コロンバンガラ島沖夜戦(12日~13日)

キスカ島の日本軍撤退(~29日)(※1)
・アリューシャン列島
・アッツ島よりアメリカ寄り
濃霧に乗じて5200人の守備兵全員救出
連合国軍シチリア島上陸(10日)
8月ベラ湾夜戦(6日~7日)

キスカ島上陸作戦(15日)(※2)

第1次ベララベラ海戦(17日)
国際機構憲章草案

クルクス会戦終了(27日)
・ソ連勝利
・史上最大の戦車戦
9月ラエ(ニューギニア東部)陥落(16日)

米、豪、「飛び石作戦」開始(22日)(※3)
イタリア降伏(8日)

「絶対国防圏」設定
10月稲田正純南方軍総参謀副長更迭
・インパール作戦に反対していた
コロンバンガラ島撤退(2日)

第2次ベララベラ海戦(6日)
第1次学徒出陣(21日)

大本営、関東軍の転用決定(22日)

中野正剛割腹自殺(27日)
11月ブーゲンビル島の戦い(1日~)

マキン島の日本軍全滅(24日)

タラワ島の日本軍全滅(25日)
大東亜会議(5日、6日)(※4)
・日本、満州、タイ、ビルマ、フィリピン、中華民国
「大東亜共同宣言」

中国本土から台湾へ空襲開始

カイロ会談(22日~26日)(※5)
・英米中
12月テヘラン会談(11/28~12/1)(※6)
・英米ソ

(※1)キスカ島撤退作戦

敵将からも「パーフェクト・ゲーム」と呼ばれました。

米軍に包囲される中、霧に乗じて突入。

守備兵5200人を助け出しました。

天皇家の紋章のついた小銃を捨ててスピードを優先。

(のちにこの行為を問題視する輩もいたと言います。)

陸軍・樋口季一郎北部軍管区司令官と海軍・木村昌福(きむら まさとみ)第1水雷戦隊司令官がいたからこそ実現できました。

目的のためには、それに向けて本気で取り組まないといけない(撤退が目的と決めたら、攻撃や名誉にこだわってはいけない)ということなど、学ぶべき点は多々あると思いました。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm27808144

(※2)キスカ島上陸作戦(コテージ作戦)

そして太平洋戦争(日本での呼称は大東亜戦争)最大の珍プレーがその後に行われた連合国軍の「キスカ島上陸作戦」(コテージ作戦)でしょうか。

「死せる孔明生ける仲達を走らす」

という三国志の諺がありますが、まさにその展開となりました。

日本兵は撤退後で誰もいないのに連合国軍は「いる」と思っています。

そのため疑心暗鬼を生じて同士討ちの連続。

おまけに機雷に触れて駆逐艦1隻大破。

なんとこの戦いで死者・行方不明者は300人以上となりました。(日本側はもちろんゼロ)

さらに、連合国軍は小屋に書かれた「ペスト患者収容所」という看板を見てパニック。

(実際は日本側の陽動作戦)

この看板を英語に翻訳したのが、のちに日本文学者となるドナルド・キーン先生だったようです。

(感染が疑われ本国に強制送還)

【wiki】

(※3)飛び石作戦

連合国軍はラバウル、コロンバンガラ島など攻略が困難な日本軍の拠点を避け、海上交通の要所を抑える方針を採用しました。

これにより日本は補給路を断たれます。

日本軍はコロンバンガラ島に飛行場を建てて兵力も強化しておりましたが、連合国軍は「素通り」。

日本軍はコロンバンガラ島撤退をする羽目になりました。

(※4)大東亜会議

【参加国】

日本(東条英機)
満州国(張景恵)
タイ(首相代理:ワン=ワイタヤコーン)
ビルマ(バモオ)
フィリピン(ラウレル)
中華民国(汪兆銘)

【傍聴】

自由インド仮政府(チャンドラ・ボース)

→『大東亜共同宣言』が発表された。

大東亜共同宣言

外務省の戦争目的研究会が立案。重光葵外相が修正したものが外務省案です。

一方、大東亜省も国策研究会、西田幾多郎(哲学者)、大川周明(国家主義者)、矢部貞治(政治学者)らが中心となって案を作成しました。

結果的には外務省案を修正して大東亜共同宣言がつくられたのですが、これには重光の新たな中国政策が大きく反映されておりました。

重光葵の「新政策」

重光葵は中国に対して従来の戦争外交を見直そうと考えておりました。

英米が中国に対して治外法権撤廃を約束したことも影響していると思います。

英米と戦争目的を近づけることで和平交渉を基礎づけるという意味もあったのでしょう。

大東亜共栄圏とは…

しかし、大東亜共栄圏とは結局は「日本が資源を得るためのもの」ではないか?という意見もあります。

もちろん資源のない日本にとってそれは当然だと思うのですが…

(※5)カイロ会談

ルーズベルト、チャーチルに加えて蒋介石が呼ばれました。

日本が中国から得た土地を返すことを約束しました。

朝鮮の独立についても語られております。

この時期に行われたのは大東亜会議への対抗、という意味合いもあります。

蒋「介」石が加わるから、「カイ」ロ会談、って覚えます。

(※5)テヘラン会談

ルーズベルト、チャーチルに加えてスターリンが呼ばれました。

ソ連は独ソが対決する第一戦線に加え、米英連合軍による第二戦線の開設を求めました。

(1944年6月のノルマンディー上陸作戦として実行されます。)

また、ソ連はドイツ降伏後の対日参戦を約束します。

まとめ

【1943年7月~12月】

大東亜会議が行われる一方、連合国側はカイロ会談、テヘラン会談を行う。(11月)

戦局は不利になる一方だったが、キスカ島撤退作戦(7月)、キスカ島上陸作戦(8月)のようなファインプレーも。

【次回はコチラ】