- 2022/07/28
- 2022/08/02
☞【鎌倉後期⑳:1298-9年】『永仁の徳政令、大部分撤回!』
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑳:1298-9年」です。 「永仁の徳政令」は一部撤回されるなど混乱を生じ、 「持明院統」と「大覚寺統」の争いは激化。 良かったことは、テムルと北条貞時政権下で日元の戦争リスクが下がったことくらい。 それでも幕府は […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑳:1298-9年」です。 「永仁の徳政令」は一部撤回されるなど混乱を生じ、 「持明院統」と「大覚寺統」の争いは激化。 良かったことは、テムルと北条貞時政権下で日元の戦争リスクが下がったことくらい。 それでも幕府は […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑲:1297年」です。 この年に発令された「永仁の徳政令」は日本史の教科書に必ず出るのですが、 その多くの条文が「1年で撤回された」ことはあまり知られていないでしょうか。 永仁5年(1297年)年表 3/6 「永仁 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑱:1294-1296年」です。 2度にわたり日本を襲ったフビライもついに死去。 孫のテムルが即位します。 その後、テムルはカイドゥの乱も治め、 束の間の平和が生まれます。 永仁2年(1294年)年表 1/22 フ […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑰:1293年」です。 鎌倉大地震の混乱に乗じ、執権・北条貞時は内管領として権勢をふるっていた平頼綱を誅殺しました。 これを「平禅門の乱」と呼びます。 正応6年/永仁元年(1293年)年表 2 竹崎季長「蒙古襲来絵 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑯:1291-2年」です。 6年に渡る「カダアンの乱」はフビライの孫、テムルによって鎮圧されました。 これにてテムルがフビライの後継者とみなされます。 一方、日本では3度目の来襲に備えて、「異国打手大将軍」が北条氏 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑮:1288-90年」です。 日本は3度目の襲来に備えておりましたが、 元は、ベトナム遠征の失敗、いまだに続く内乱などで、 それどころではありませんでした。 弘安11年/正応元年(1288年)年表 3 白藤江の戦い […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑭:1287年」です。 モンゴルでは「東方三王家」と呼ばれる親戚筋から「ナヤンの反乱」が起こり、フビライ自ら鎮圧しました。 日本では霜月騒動の余波を受けて、天皇が大覚寺統から持明院統に交代しました。 伏見天皇(当時 […]