~只今、全面改訂中~

☞【鎌倉後期㉗:1318年】『後醍醐即位!その頃、東北は??』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉗:1318年」です。

ついに、後醍醐天皇が即位しました。

文保2年(1318年)年表

2/26後醍醐天皇(大覚寺統)、即位(※1)

※花園天皇が即位して10年になったため譲位。(10年ごとに皇統を移す約束。)
※時に31歳。久々の「成人」天皇。
※父の後宇多法皇が院政を行う。
皇太子には後二条上皇(後醍醐の兄)の第1皇子・邦良親王
12/20鎌倉殿中問答(~1319/09/15)

※日蓮宗の日印が幕府殿中で諸宗を論破。これにより布教の許可が降りる。
蝦夷地で内紛(?)(※2)

※5月には沈静化?
※複雑な経過を経て安藤氏の乱へとつながる(?)

(※1)後醍醐天皇即位

文保の和談ののち、即位したのが大覚寺統の後醍醐天皇(在位1318-39)であった

宋の朱子学を学んだ天皇は、政治に強い意欲を示し、父後宇多上皇(在位1274-87)の院政を排して天皇親政を開始した

人材を登用し、記録所の機能を盛んにし、延喜・天暦の時代を模範としてその再現につとめた

「詳説日本史研究」p173-4
宋の朱子学ね、、

でも、我々に滅ぼされてますよね、、

むしろ我々のグローバルな考えを学ぶべきだったんじゃないですか?

そうそう、元に滅ぼされたという屈折した思いがより朱子学を朱子学らしくしているのでしょうけど、統治には向いているんですよ。
花園天皇
えー、私、ガチで朱子学を勉強したのですが、

後醍醐天皇の言ってる朱子学は完全に「自己流」です。

教科書に「宋の朱子学を学んだ」と書かれるのも面映いばかりです。

彼に譲位するのは本意ではなかったのですがね、、

パパさん(後宇多上皇)は優秀な人だったんですがね、、


でも、パパさんの真の目的は孫の邦良親王を皇太子につけることで、後醍醐は所詮、中継ぎ。

えーい、うるさい、うるさい、

 

ワシはワシのやりたいようにやるんじゃー!

醍醐天皇
えーと、醍醐天皇(在位897-930)です。

ゴダイゴ君が私のことを慕ってくれるのは嬉しいのですが、天皇1人でできることなんて限られていますよ。

過去は美化されますけど、それはそれで大変な時代でもあったので、ゴダイゴ君が思っているほど理想的は政治ではなかったと思います。

これ、マジ。

(※2)蝦夷大乱

私、この時代の東北地方について全く知識を持ち合わせていませんでした。

wikipediaの「安藤氏の乱」を読んでも、なんのことやらさっぱりでした。

そこで、この時代の東北地方の様子が書かれた本がないか調べましたところ、

「十三の海鳴り」(とさのうみなり)という本に出会いました。

どうやら当時、東北地方は、蝦夷の流れを組む安藤氏に政治が任されていたようです。

しかし、「アイヌの反乱」で生じた混乱に得宗家が激怒して、

トップを「外の浜安藤家」から「西の浜安藤家」にすげ替えたようです。

いくら同じ安藤一族とはいえ、これでは「外の浜安藤家」としては面白いはずがありません。

そこで、再びトップの座を得るべく、アイヌと組んで暴動を起こそうとしたり、

謀略を尽くして「西の浜安藤家」の落ち度を作ろうとしたり、、、

という感じの本かと思いましたが、

そんな単純なものではありませんでした(汗)

途中、大塔宮が出てきたり、北畠親房、名和長年が出てきたり、、

お~~~っと唸るような展開でした。

この両安藤氏を中心とした騒乱は単なる東北地方に限定されたものではなく、

幕府とも天皇とも連動した、日本全体を巻き込む「騒乱」だったのですね、、

それゆえ、wikipediaでも安藤氏の乱を「鎌倉幕府衰退の遠因となった可能性がある」と紹介しているのでしょうね。

活字として読むとすごく難しくて、すごく時間かかるので、

是非とも、アニメ化して欲しいです、、

もっとも、小説はどこまでが史実で、どこまでがフィクションか素人目には判断しにくいのですが、

よくわかりました。

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