~只今、全面改訂中~

☞【かつて青森に十三湊という巨大貿易港があった】『30の都市から読む日本史』(金田章裕、2017年)

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「十三湊(とさみなと)」です。

鎌倉時代から室町時代にかけて国内有数の巨大貿易港:十三湊(とさみなと)が存在しました。

以下、「30の都市から読む日本史」(金田章裕、2017年、日本経済新聞出版社)を参考にしております。

30の都市からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫) [ 金田 章裕 ]価格:880円
(2021/8/11 16:27時点)
感想(0件)
東京、京都、大阪、名古屋など有名都市も掲載。旅行前に読むと全然違うと思います。

中国も交易範囲??

まず驚いたのが、中国(当時は北宋王朝)や、樺太も交易範囲だった点です。

港には中国の船が「群れ集まっていた」ほどでした。(『十三往来』弘智)

日本海を渡って大陸と往来するのは困難っていうイメージがあったんですがね。

蝦夷の末裔によって運営されていた

この時代、十三湊を支配していたのは安藤氏

安藤氏は、前九年の合戦で源頼義に討たれた安倍氏の子孫と言われ、

安藤氏の前に十三湊を治めていた奥州藤原氏と同様、蝦夷(えみし)にルーツを持ちます

南部氏の台頭で衰退

蝦夷地まで含め広範囲で隆盛を誇っていた安藤氏ですが、1428年、八戸方面から南部氏が攻めて来て、蝦夷地に追われます

その後もたびたび合戦が行われますが、安藤氏は十三湊を奪還できませんでした。

南部氏は十三湊には手をつけず、交易の中心は大浜(現在の青森市)、及び野辺地港(現在の野辺地街)に移りました。

十三湊は16世紀後半、一時的に米や木材の中継地として港湾機能を回復しましたが、明治時代に鉄道ができると、港としての役割を終えます。

青森出身の友人に聞いても、もはや十三湊の存在すら知りませんでしたが、中世の貴重な港湾都市の特徴を色濃く残しているとして、国指定史跡に認定されております(2005~)

寂れた中世の巨大貿易都市。ちょっとロマンを感じませんか?

年表

平安後期十三湖と日本海の間の砂州にあった港町が蝦夷地との交易により発展。当時の支配者は奥州藤原氏。
1189年奥州藤原氏が源頼朝の軍勢に滅ぼされ、十三湊も鎌倉幕府の支配下に入る。
1229年安藤氏、奥州藤原氏の残党を萩野台の合戦でホロ押し、十三湊の支配を盤石に。
室町時代最盛期を迎える。博多や堺と並ぶ日本十大港に記される。(@「廻船式目」)
1423年安藤康季、5代将軍足利義量就任に際して鳥5000羽、ラッコの毛皮30枚など贈呈。
1428年南部氏の侵攻により安藤氏が蝦夷地に逃走。土砂の堆積もあり、以後、十三湊は衰退。