こんにちは。
今回ご紹介しますのは、日本と奉天軍(張学良)、ソ連がひしめきあった、「満州事変前の満州」についてです。
以下、「満州建国の真実」第6章「満州国の建国」を参考にさせて頂きました。
満州はとにかく荒れておりました。
【年表】満州・ソ連の歴史(1924年~1939年)
年 | 満州 | ソ連 |
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1924.7 | モンゴル人民共和国建国(※1) | |
1928 | 第1次5ヵ年計画開始 | |
1928.6 | 張作霖爆殺事件 | |
1928.12 | 張学良、蒋介石に帰順 | |
1929.5 | 張学良配下の武装警官が日本の工場などを破壊(※2) | |
1929.7 | 奉ソ戦争(~12月)(※3) | |
1931.5 | 「万宝山事件」(※4) | |
1931.8 | 「中村震太郎退位大尉殺害事件」が明るみに(※5) | |
1931.9 | 満州事変勃発 関東軍の快進撃に伴い独立急増(※6) | |
1931.11 | 関東軍、奉天、遼陽、長春に続いてチチハルも占領 | |
1931.12 | 関東軍、錦州進撃 | |
1932.2 | 関東軍、ハルビン占領 | |
1932.3 | 満州国建国(※7) | |
1933.2 | 関東軍、満州軍による熱河作戦 | |
1933.5 | 塘沽停戦協定 | |
1939.5 | ノモンハン事件 |
(※1)モンゴル人民共和国建国
ソ連の援助を受けたモンゴル人民革命党がソ連の保護国としてモンゴル人民共和国を建国しました。
以後、遊牧民から私有家畜を没収して牧畜集団化、富裕層の排除、仏教禁圧などを行ないます。
抵抗勢力は粛清されました。
ソ連のような秘密警察組織も誕生し、役人、軍人、富豪、僧侶など約4万人が処刑されました。
モンゴル人は屈強で、のちのノモンハン事件ではソ連・モンゴル連合軍に日本兵・満州兵は苦しめられました。
(※2)張学良の排外姿勢
張学良は排外姿勢が強く、日本やソ連の国際法上認められた諸権利を武力で侵害しました。
日本の工場、鉱山などの破壊活動を行い、さらには掠奪、放火、暴行、殺人などの非合法行為が年間100件を超えます。
日本人居留民としてはたまったものではありません。
(※3)奉ソ戦争
張学良はソ連の東支鉄道を強行回収しました。
ソ連はこれを不満としてソ連特別極東軍が満州里へ侵入して張学良軍を圧倒しました。
張学良はやむなく講和します。
日本がいなければソ連はおそらく満州全域を支配していたのではないか、と板垣征四郎大佐は述べております。
(※4)万宝山事件
当時、満州も含めて軍事費確保のため住民税が高額でした。
そのため治安は悪化、匪賊の動きも活発となり、支那国の官憲が襲撃されて拳銃が奪われるという事件も起こっております。
そんな中で生じたのが「万宝山事件」です。
万宝山に入植した朝鮮人農民約90人が吉林省の武装警官約50人および保安隊約200人に拘束されました。
朝鮮人農民は貧しいながらも支那人地主に小作料を支払い、灌漑用水を開こうとしましたが、武装警官らは退去命令を出したのです。
日本人も怒りを覚えました。(※ちなみにこの時期、日韓併合中です。)
(※5)中村震太郎大尉殺害事件
さらに、怒りを増幅させたのが「中村震太郎大尉殺害事件」です。
陸軍参謀本部作戦課員、将来の司令官候補であった中村震太郎大尉は実地研鑽のために大興安嶺周辺に派遣されます。
この付近は治安の悪い物騒な場所でした。
日本人は満州での往来が自由で、中村大尉一行(4人)は通行証も携帯していましたが、支那駐屯隊に捕縛され、監禁・拷問を受けた上に銃殺されました。(6月27日)
これが明るみになったのが8月2日。
若槻内閣は「責任者処罰、賠償」による外交的決着を目指しますが、世論は武力行使すべきと沸騰します。
そもそも満州は日露戦争で日本が勝たなければロシアのものになっていたのに、支那は何もせずに今頃何をしてくれているんだ、という論調です。
(※6)満州事変での周囲の反応
満州事変で関東軍が次々に主要都市を征服していきますと、反張学良、反蒋介石派の満州人が次々と独立政権を樹立しました。
・奉天地方自治維持会(袁金鎧、9/24)
・吉林省臨時政府(熙洽、9/26)
・東三省特別区治安維持委員会(張景恵、9/27)
・辺境保安総司令(張海鵬、1932/1/3)
※熙洽(キコウ)はヌルハチの弟の末裔。
(※7)満州国建国
日本の影響下のもとですが、張景恵が委員長を務める東北行政委員会が「満州国」の建国宣言をしました。
そして、溥儀(清朝最後の皇帝)を元首に迎えます。
石原莞爾
「支那問題・満蒙問題は対支問題にあらずして対米問題である。わが国の治安維持のもとで漢民族の自然的発展を期する。満蒙は満州人・蒙古人のものにて、満州人・蒙古人は漢民族より大和民族に近い」
★雑感★
石原莞爾は「五族協和、王道楽土」を唱えておりました。
もし満州国がこのまま存在し、その理念を実現したとしたら、現代がどのような世界になっていたのか、非常に興味のあるところではあります。
(少なくとも北朝鮮は生まれていなかったでしょうかね・・・)
♨「五族」・・・日本、朝鮮、満州、蒙古、支那人。
(いまや、満州人は中国人に吸収されてしまう勢いですが。)