- 2022/11/25
- 2022/12/06
☞【鎌倉後期㉛:1327-30年】『護良親王、天台座主へ』
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉛:1327-30年」です。 長崎高資が双方から賄賂をもらってことで混乱をきわめた東北の「安藤氏の乱」は一応の和解を見せました。 一方、後醍醐天皇は息子の護良親王を比叡山に送り込むなど、着々と倒幕計画を進めます。 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉛:1327-30年」です。 長崎高資が双方から賄賂をもらってことで混乱をきわめた東北の「安藤氏の乱」は一応の和解を見せました。 一方、後醍醐天皇は息子の護良親王を比叡山に送り込むなど、着々と倒幕計画を進めます。 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉚:1325-6年」です。 皇太子・邦良親王逝去に伴い、京都では大覚寺統内の邦良親王派と後醍醐天皇派、および持明院統とが、次期皇太子をめぐって熾烈な争いを繰り広げておりました。 一方、鎌倉でも得宗・北条高時が病気で […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉙:1324年」です。 「倒幕計画」発覚により、後醍醐天皇の側近が処分された最初の事件です。 元亨4年/正中元年(1321年)年表 6/25 後宇多上皇、死去 ※後醍醐天皇が自分の子孫を天皇にするには、大覚寺内部の […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉘:1319-23年」です。 1321年の辛酉革命年より、後醍醐天皇の親政が始まりました。 文保3年/元応元年(1319年)年表 4/28 元応に改元 ※後醍醐天皇即位にともない。 9/15 鎌倉殿中問答 ※日印( […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉗:1318年」です。 ついに、後醍醐天皇が即位しました。 文保2年(1318年)年表 2/26 後醍醐天皇(大覚寺統)、即位(※1) ※花園天皇が即位して10年になったため譲位。(10年ごとに皇統を移す約束。)※ […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉖:1316-7年」です。 1316年、執権は数え年14歳となった得宗・北条高時へ。 もっとも、政治の実権は家臣の長崎高資(長崎円喜の息子)に握られておりました。 一方、京都では天皇位をめぐって持明院統と大覚寺統が […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉕:1312-5年」です。 1311年に北条基時(第10代執権)、北条貞時(第9代執権)が相次いで亡くなったのに続き、 1312年に北条宗宣(第12代執権)、1315年に北条熙時(第13代執権)も亡くなりました。 […]