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☞【建武政権③:1334年1-6月】『足利尊氏暗殺未遂事件!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「建武政権③:1334年1-6月」です。

元号が「建武」に代わります。

「征夷大将軍」の座は護良親王が解任されたものの、

足利尊氏が選ばれることはありませんでした。

元弘4年/建武元年(1334年)年表

-/-各地で反乱勃発

※鎌倉幕府滅亡~足利尊氏の建武政権離反(1335.8)までの間に確認された反乱は「26」もあり、奥州から九州まで全国規模。
※すべてが北条氏に関係しているとは言えないが、建武政権に不満を持った武士たちを糾合する権威として北条氏が機能した側面がある。
1/23皇太子に恒良親王(15歳)を指名

※母は阿野廉子。成良親王(鎌倉将軍府)、義良親王(陸奥将軍府)の同母兄。
※嫡流であった康仁親王(13歳:故・邦良親王皇子)から皇統を奪う形となった。
1/29「建武」に改元
大内裏の造営発表

※後漢を開いた光武帝時代の元号にあやかる。
※まぎらわしいが、「建武の新政」が開始したのは、元弘年間である。
※さらにその権勢を誇示すべく大内裏の造営を発表したが、戦で疲弊した状態での発表は多くの反感を買った。
3/21阿蘇治時(北条高時の養子:16歳)、処刑

※3/9、本間・渋谷氏が鎌倉を攻めたことに連座して捕らえていた阿蘇治時が処刑される。乱を理由に人質を処刑するパターンは少なくない。
5/-年貢が重くなったと百姓が訴える

※若狭国太良荘(福井県小浜市)の百姓が「幕府が滅んで年貢が軽くなると思ったら重くなった」と訴え
6/7護良親王、足利尊氏暗殺未遂

※計画は失敗。背後から糸を引いていた後醍醐天皇はすばやく護良親王に責任転嫁したため、護良親王はその罪を一身に負わされて10/22捕縛。
後醍醐天皇
元号を「建武」と改める!

目指すは醍醐・村上天皇の時代。

皆のもの、引き続き頼むぞ!

足利尊氏
後醍醐天皇ったらイキっちゃって。

所詮、武士の力がなければ成立しないでしょうが。

護良親王の征夷大将軍を解任したのは良いんだけど、

その座を僕にくれないんだったら、意味ないわ。

足利直義
兄さんが鎌倉に将軍として来れば幕府の完成なんですがねー。
護良親王
そう、そうさせないためにも尊氏を暗殺せねば。。。
足利尊氏
僕の首を狙ってるのがいるみたいだけど、バレバレなんだよねー。

鬱陶しいから、天皇にちくっちゃお。

って、天皇が黒幕だったりねーーww

後醍醐天皇
うぬぬ、、

こちらの計画はバレているのか、、

護良、どうするか、、

護良親王
主上、迷っている場合ではありません!
阿野廉子
ねえねえ、天皇ー、

護良親王、ウザくない??

後醍醐天皇
え?
護良親王
え?え??
阿野廉子
だって、あの男がいたら私たちの子が天皇になれないかも知れないじゃなーい
後醍醐天皇
それもそうだな、

ま、この際、全部、護良のせいにしてしまおっか

足利尊氏
あはは~。
護良親王
高氏より父上が恨めしい。。。
農民
どうでもいいけど、増税反対だぞー!

幕府が滅んで生活が楽になるかと思いきや、

これでは前の方が良かったじゃないか!