1941年6月22日から始まった独ソ戦。
当初劣勢だったソ連が挽回した契機の1つが、ゾルゲ諜報団がもたらした「日本は今年度中は参戦しない」という情報でした。
同時期に関東軍特殊演習などが行なわれ、スターリンは日独に挟撃されることを恐れますが、演習も8月には中止。
ソ連は極東に配備していた精鋭軍を前線にまわすことができたのです。
以下、「総力戦のなかの日本政治」などを参考に、「スパイ・ゾルゲとその仲間たち」で打線を組みました。
1遊 アグネス・スメドレー
2二 宮城与徳
3捕 尾崎秀実
4投 リヒャルト・ゾルゲ
5三 マックス・クラウゼン
6中 ブランコ・ヴーケリッチ
7一 北林トモ
8左 西園寺公一
9右 近衛文麿
1遊 アグネス・スメドレー 310. 21HR
1892年、アメリカ・ミズーリ州出身の左翼運動家。
朝日新聞社上海特派員となった尾崎に、「ジョンソン」という男を紹介する・・・(と言われているが実際に紹介したのは満鉄子会社に潜り込んでいた鬼頭銀一らしい)
この「ジョンソン」という男こそ、リヒャルト・ゾルゲである。
ジャーナリストとして活動していたが、のちコミンテルンのスパイであることが判明。
2二 宮城与徳 290. 19HR
1903年、沖縄出身。画家。
父に付き添う形でアメリカに渡り、共産主義運動に関わる。
その後、帰国し、ゾルゲと尾崎の連絡役となった。
逮捕後は取調室から飛び降り自殺未遂を図るが生存。最終的に結核を悪化させて獄死。享年40。
3捕 尾崎秀実 385. 38HR
1901年、東京出身。東大卒業後、大学院を経て朝日新聞社に入社。
上海特派員時代(1928~1932)にゾルゲと知り合う。
のち、中国問題研究家として日本のジャーナリズムでの地位を確立。
1937年には近衛のブレーン組織である「昭和研究会」に参加。
1938年には内閣嘱託として日中関係の政策立案に関与した。
彼にとっての「東亜新秩序」とは日本とソ連、中国共産党が提携し、最終的には「世界共産主義革命」を起こすこと。
そのため日中戦争で日本が国民党を叩くときは肯定的に書き、共産党を叩くときは否定的に書いた。
(♨「爾後、国民政府を対手とせず」という第1次近衛声明にも一枚噛んでいたとは!)
さらには、「シベリアの資源はほとんどない」と書いて南進を誘導。
4投 リヒャルト・ゾルゲ 400. 40HR 20勝2敗 防0.50
1895年、ロシア帝国・バクー(現アゼルバイジャン共和国)出身。父はドイツ人の石油技師、母はロシア人。
のち第1次世界大戦に参戦して負傷。ヤン・ベルジンによりソ連赤軍諜報部に引き入れられる。
上海での活動を終えた後、日本へ向かう。
ジャーナリストとして日本のドイツ大使館に出入りするようになり、オットー(のちの駐日大使)の信頼を勝ち取り情報源の1つとした。
ゾルゲ諜報団が送った「日本は独ソ戦に介入しない」という情報から、ソ連は極東軍25万をモスクワ攻防戦に投入。
5三 マックス・クラウゼン 380. 33HR
1899年、ドイツ生まれ。
1941年の国防保安法以前から日本上空には上海、シベリアに向けて数字を並べた奇怪な暗号文が飛び交っていた。
その無線を扱っていたのが彼。
ゾルゲとは上海時代から共に活動し、ゾルゲに引き抜かれる形で日本での活動に加わる。
送信場所を毎度変えるなどして捜査を攪乱。
6中 ブランコ・ヴーケリッチ 375. 20HR
1904年、クロアチア生まれ。本人はユーゴスラビア人。
フランスやユーゴスラビアなどの雑誌・新聞に寄稿するジャーナリストとして日本勤務しながらゾルゲ諜報団としても活動。
日本人と結婚し、日本名として「武家利一」を持った。
ソ連のため、というよりは「反ナチス」のための活動であったと言われる。
7一 北林トモ 262. 12HR
1885年?生まれ。
共産主義者としてアメリカで宮城とともに活動後、帰国。
洋裁店で働く傍ら宮城の情報収集に協力していたが最初に逮捕された。
この逮捕には尾崎秀実とも交流のあった伊藤律(戦後、日本共産党幹部となるが党の分裂で中国に渡る)の供述によるものだとされていたが、この説は現在では完全否定されている。
(日本の特高はゾルゲや尾崎を疑っていたが彼らのように大きな影響力を持つものではなく、周辺の人物から本丸を落とすことを狙っていた。)
8左 西園寺公一 272. 10HR
1906年、神奈川県生まれ。何を隠そう西園寺公望の孫、そして共産主義者。
尾崎とは1936年、カリフォルニアで行われた太平洋問題調査会で出会って以来、懇意にしていた。
西園寺も近衛内閣の研究会に参加していたのだが、実は国家機密を横流し。
死刑の尾崎と比べて刑は軽く、その後は「セネターズ」(現:日本ハムファイターズ)のオーナーを短期間務めるなど散財。
9右 近衛文麿 250. 8HR
1891年、東京都出身。いわずもがな日中戦争時の首相であり、日独伊三国同盟、独ソ開戦時の首相でもある。
何が悪いのかと言うと、スパイの存在に全く気がつかなかったこと。
これでは諜報団とグルと思われても仕方がないだろうか。
(実際に、東條英機はこれを追及)
ブレーンにスパイが紛れていたことで、国策もだいぶ誤ったのではないか、と思われる。
(このことはオイゲン・オットー駐日大使にも言えるが、駐日大使と首相では重みが断然違うであろう。)
【年表】ゾルゲ、上海で活動開始(1930)~死刑(1944)
年 | ゾルゲ関係 | その他情勢 |
---|---|---|
1930 | ゾルゲ、上海で活動。 尾崎秀実、アグネス・スメドレーらと知り合う。 | ソ連はスターリンが実権掌握 |
1932 | ゾルゲ、帰国 | 満州国建国 |
1933.5 | イギリスはこの時期にはゾルゲをソ連のスパイと断定 (♨早いっ・・・) | 3月、ヒトラーが全権掌握 |
1933.9 | ゾルゲ、日本での活動を開始、徐々に諜報団を組織 ナチに入党 | |
1936.2 | 二二六事件 | |
1937.4 | 尾崎秀実、近衛のブレーン団体「昭和研究会」に参加 | |
1937.11 | ゾルゲ上司のヤン・ベルジンがスターリンにより粛清 | 7月~日中戦争 |
1938.7 | 尾崎秀実、第1次近衛内閣嘱託に | |
1939.8 | 独ソ不可侵条約 | |
1940.7.22 | 第2次近衛内閣発足 | |
1940.9.27 | 日独伊三国軍事同盟 | |
1940.12 | ゾルゲ、29日の時点でドイツが東部国境に大軍を集めていることを本国に打電 | ドイツ、ソ連攻撃を決定 |
1941.5 | 日本、「国防保安法」制定 ※あわせて「防諜週間」が実施。国民に対して啓蒙活動が行なわれた。 ※この頃には奇怪な暗号が東京上空を飛び交っていることを認識。 | |
1941.6.6 | 日本「対南方施策要綱」・・・仏印、タイなどとの連携確立を目指す | |
1941.6.22 | 独ソ戦勃発 (松岡らは対ソ即時開戦主張) | |
1941.7.2 | この頃、西園寺公一は近衛内閣嘱託となっており、尾崎らに情報を流す | 大本営政府連絡会議にて方針決定。独ソ戦にはひとまず介入せず。 |
1941.7.10 | ゾルゲ、今年度中に日本の独ソ戦参戦がないことをソ連本国に打電 | |
1941.7.16 | 関東軍特殊大演習開始 | |
1941.7.18 | 第2次近衛内閣→第3次近衛内閣へ。 対ソ開戦、対米強硬を主張する松岡更迭。 | |
1941.7.26 | アメリカ、日本の在米資産凍結 | |
1941.7.29 | 日本、南部仏印進駐 | |
1941.7.31 | 関東軍特殊大演習中止 | |
1941.8.1 | アメリカ、対日石油禁輸 | |
1941.9.27 | 北林トモ逮捕 | |
1941.10.10 | 宮城与徳逮捕 | |
1941.10.18 | 尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲ、マックス・クラウゼン、ブランコ・ヴーケリッチら順次逮捕 | 東条内閣成立 |
1941.12.8 | 日米開戦 | |
1942.5.16 | 「国際諜報団事件」として発表される | |
1942.9 | ゾルゲの妻カーチャ、ドイツでのスパイ活動を理由にKGBに逮捕 | |
1943.5 | ゾルゲらの公判開始 | |
1943.9 | ゾルゲらの判決決定 (→上告するが棄却) | |
1944.1.20 | ゾルゲらの死刑確定 | |
1944.11.7 | ゾルゲの死刑執行 |
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