こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「建武政権⑱:1336年10-11月」です。
後醍醐天皇は降伏し、三種の神器を渡しました。
新田義貞は北陸方面へ逃れます。
そして直義主導で「建武式目」が作成されました。
しかし、冒頭から首都を鎌倉か京都かで決めかねるような、不安要素もありました。
10/10 | 足利尊氏、後醍醐天皇と和睦会談 ※和睦が決定すれば、義貞は切り捨てられた形となる。尊氏が自分を許すとは思えない。そのため、義貞一族は京都へ帰還する後醍醐を取り囲むなど内部分裂の様相を呈した。 ※結果的に、義貞は尊良親王、恒良親王を連れて越前へ向かうこととなった。北国・東国で勢力拡大することを意図した。 ※対する尊氏の動きは迅速で、一門の斯波氏、仁木氏、細川氏へ出動命令。 ※ちなみに恒良親王は阿野廉子の息子。同母弟の成良親王は皇太子に就任、同じく同母弟の義良親王は北畠顕家の陸奥へ向かっている。 |
10/10 | 後醍醐天皇、京都に帰還 ※花山院に幽閉される。 |
10/13 | 新田義貞、金ヶ崎城(福井県敦賀市)入城 ※越前国はすでに足利一門の斯波高経が治めていた。 ※さらに季節外れの雪に猛吹雪に見舞われ、道中は困難を極めた。 (この年が異常に寒かったことはヒノキの年輪成長曲線調査からも裏付けられる) |
10/15 | 新田義顕(義貞長男)、加勢を求め越後へ向かう 脇屋義助(義貞弟)、配下の瓜生保の応援に向かう ※新田義貞は北陸に地盤があったわけではなく、地盤固めは困難を極めた。 ※さらには足利尊氏の偽の綸旨により、瓜生保が寝返ってしまい、それに動揺して配下の武将の脱走が相次いだため、脇屋義助、新田義顕の軍は3000騎から16騎になってしまい、命からがら金ヶ崎城に戻った。 ※金ヶ崎城の新田義貞も異変を察知して800騎の軍勢を城から出して、義助の帰還を助けた。 |
11/2 | 後醍醐、三種の神器を光明天皇に渡す ※尊氏政権の合法化。 |
11/7 | 「建武式目」制定、室町幕府実質的成立 ※最大の特徴は、幕府の決定事項を下達するという形をとらず、将軍尊氏からの「諮問」に答える上申書という形をとっている。 ※答申のメンバーは、日野藤範、是円(中原章賢)、真恵、玄恵法印、少弐頼尚、明石行連、太田七郎、布施彦三郎の8名で、是円と真恵が中心となったと考えられている。 ※是円は「是円抄」と呼ばれる御成敗式目の注釈書も著している。法解釈が家業の中原家の出身で、建武政権発足当初から雑訴決断所の職員を務めた。真恵はその弟。 ※日野藤範は鎌倉幕府に仕えた儒学者、玄恵は後醍醐天皇に宋学を教えた宋学者。明石、太田、布施は鎌倉幕府の旧奉行層とみられる。 ※いずれにしても彼らは激しい政権交代でも地位を失わなかった政策立案と実務運営のプロフェッショナル。 ※少弐頼尚も加わっている。 【建武式目】 ※第1項:政権の所在地をどこにするか。 ※第2項:政権にとって喫緊の政治課題への対応策17か条(倹約の奨励、狼藉への警固、空き地の不法所得禁止、土倉の興行の奨励、賄賂の禁止など:「洛中平和令」と呼ばれる内容。 |
11/12 | 成良親王、皇太子就任 ※成良親王の皇太子就任は後醍醐天皇の出した和睦条件であった。 ※尊氏は鎌倉府時代から成良親王の乳父的な立場であった。 |
尊良親王、恒良親王、ご一緒に!!
しかし、なんで今年はこんなに寒いんだ、、
ただ、三種の神器はちょうだいね。
声明も出そう!
じゃあ、直義、ちょっと書いてみてよ。
武家にとって縁起の良い場所だし、、
京都でもいいんじゃないか、って思ってるんだよ。
兄さん、でも、京都にいたら朝廷権力に取り込まれてしまうのでは??
俺が?
はははー。
むしろ、取り込んでやるのさ。
それに京都は金・金・金で、、
今こそ武士の原点である農に立ち返るべきでは、、
直義はカタいなーww
それも取り込むんだよっ
経済をね。
ま、それも足しとくね。
【建武式目】
日本史のライブラリー
鎌倉元の如く柳営たるべきか。他所たるべきや否やの事…
居処の興廃は、政道の善悪によるべし。…ただし、諸人もし遷移せんと欲せば、衆人の情にしたがふべきか。
政道の事…
一.倹約を行わるべき事
一.群飲佚遊(いつゆう)を制さらるべき事
一.私宅の点定を止めらるべき事
一.京中の空地、本主に返さるべき事
一.無尽銭土倉を興行せらるべき事
一.諸国の守護人、ことに政務の器用を択ばるべき事
一.権貴ならびに女性禅律僧の口入を止めらるべき事
…以上十七箇条、大概斯(か)くの如し。…遠くは延喜天暦両聖の徳化を訪(と)ひ、近くは義時泰時父子の行状を以て近代の師となす。ことに万人帰仰(きぎょう)の政道を施さるれば、四海安全の基たるべきか。
(現代語訳)
鎌倉を以前のように幕府の所在地とするべきか、よそへ移すべきか否かのこと…
政権所在地が栄えるものも廃れるのも政治のよしあしにかかっている。…ただし、多くの人々が他の場所へ移りたいと望むなら、その気持ちに従うべきであろう。
政治の方法のこと…
一.倹約につとめること
一.大勢集まって酒を飲んだり、勝手気ままな遊興は禁じること
一.個人の住宅の収用をやめるべきこと
一.京都市中の空地はもとの持ち主に返すべきこと
一.無尽銭土倉といった金融業を盛んにすること
一.諸国の守護には、特に政治の実務にすぐれた人物を登用すること
一.権門貴族、女性や禅宗・律宗の僧の政治への干渉をさせないようにすること
…以上の十七箇条、概略はこの通りである。…古くは延喜・天暦の治における両天皇の徳に学び、最近では北条義時・泰時父子の業績を模範として、特にすべての人が仰ぎ服するような政治を行うことが、世の中の平和のための基礎となるであろう。
ビシッと兄が押し切るかと思ったけど、
尊氏さんはなんで弟をあんなに立ててるの??
尊氏、直義はもともと仲の良い兄弟だったんで、そうやってやろうと思ったんじゃないでしょうかね。
鎌倉時代と大きく異なる点です。
のちに彼らは「守護大名」へと発展するのです。(例:赤松円心@播磨)
師直くん、どう思う??
ばさら禁止、ってダサいっすよねー。
直義ちゃんかな?言ってるのはwww。
まあ、そう怒んないでよっ、って。
仲良くやろ。
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